トトガノート

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Tag:ゆとり教育

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先日の運動会、かけっこで娘たちは二人ともアンカーでした。リレーではないので、平たく言うとビリでした。

ところで、運動会で順位を付けない学校があると聞いた時はビックリしました。それが差別につながるからだと聞いて2度ビックリ。今でもこういう学校は有るんでしょうけど、増えないで欲しい。

子供の学力の低下が顕著になってきています。ゆとり教育が間違いであったことは明白です。順位を付けないということもゆとり教育の一環だったのかは知りませんが、学力低下の一因になっていると思います。

私が学生の頃は、試験結果の番付は廊下に貼りだされることもありました。高校受験の結果はラジオで名前が読み上げられました。「落ちたらどうしよう」と戦々恐々としたことは事実です。受験戦争と呼ばれていて、高校生がライバルを刺殺するという事件までありました。

でも、だから順位付けを無くしてしまうというのはどうなんでしょうか。交通事故で死者が出たから自動車の利用を一切禁止する、というのと同じではないでしょうか。国力の低下という副作用の方がずっとずっと大きい。

ヨコミネ式の子供の「やる気スイッチ」をオンにする方法の一番目が競争をさせるということです。子供は競争したがるのです。そして勝ったら大喜びをする。負けたら物凄く悔しがる。昔の大人は、そういう子供じゃないとものにならないと言ったものです。

最近私が見かける子供たちは勉強をしたがらないのですが、スポーツとかゲームには熱心です。受験戦争ならぬスポーツ戦争とかゲーム戦争とか呼びたいくらいに。これは勉強に競争が無くなったからじゃないかと思うのです。

逆に、スポーツやゲームから勝ち負けを無くしたらどうなんでしょう?オリンピックで順位付けをしなかったらどうなんでしょう?勝ち負けの無いナントカ同好会みたいなものだったら、あんなに興奮しないし夢中にならないし、感動もしないんじゃないだろうか…

一番簡単な動機づけは順位づけなんじゃないかと、最近思うのです。

《つづく》
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木全徳裕さんの本からです。

有名なテニス選手の話。
「両親に試合の結果でとやかく言われることはなかった。親が自分を叱るときは、テニスに対して、あるいは相手選手に対して、態度が悪かったときだけだ。だから、試合中に無用なプレッシャーを感じることは一度もなかった」

これを読んで思い出したのは、海外で学校を建てた日本人校長の話。海外の雑誌に取り上げられたとかで、テレビに出ていました。こういう人はあまりいないと思うのでたぶんこの人だと思います。

その人がテレビで言っていました。実はこの人も「ゆとり教育」を提唱しているのですが、日本での「ゆとり教育」とは全然意味が違う。この人の「ゆとり教育」はしっかり学校で教え込むことなのです。そうすることで、学校を出てから「ゆとり」が生まれる。

しかも昔の日本のように、勉強よりも礼儀作法をまず教えるとのこと。礼儀が正しければ初めて会った人ともきちんとした人間関係を構築できる、ということだと思います。そうすれば、社会に出て無用なプレッシャーを感じることが少なく、真の意味のゆとりも生まれる。

最初に紹介したテニス選手の言う「プレッシャー」は、主に勝ちに執着する気持ちから生じるものを指しているのでしょうが、対戦相手とも気持よく握手ができるということも真の意味のゆとりであり、勝ち負けより大切なことでしょう。

勉強なんかできなくてもいい。人に迷惑さえかけなきゃいいんだ。欲を言えば、読み書きソロバン(計算)くらいはな…食っていけないと困るから。

昔の日本の親はそんなものだったと思うのですが、その精神が技術立国あるいは経済大国につながったと思うんです。
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