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「空海の風景」(中公文庫)
「『空海の風景』を旅する」の「第四章 室戸岬」を読みました。

空海が修行した洞窟、神明窟(修行の場)・御厨人窟(住処)の近くにあるという、お遍路宿のおばさんが語った話が印象的でした。
《以下引用》
…「円海さんやったかね。その人の名は。
もともと九州のキリスト教の高校出身、目が悪くてな、やがては失明するとお医者さんから宣告されて、そんで祈祷してもらったところが、なぜか目が見えるようになったんですって。その人は感動して、それなら仏道に入って、そういうパワーというかね、人を治せる、奇跡がおこせる僧になりたいと願って高野山大学に入ったそうです。
でも、大学は出たけれども、そういうパワーは全然いただくことができなくって、それで弘法大師が修行なさったように、ここに来て一年半ぐらいおったかな。ボロのキャンプを張っていたんだけど。親御さんが心配してお金持ってきても受け付けないで追い返してしまう。行き倒れのような乞食遍路に会うと、円海さんがそんな人を食堂に連れてゆく。食堂のおばちゃんが言うには、すいませんがこの人らの注文するもの何でも食べさせてやってくれませんかって言って、自分で払って食べさせてあげる。あんなことは普通の人ができるもんやないわねえって言うてました。
ほんで、そのころちょうど『空海祭』というのが始まってね。もう二十年くらい前になるわねえ。祭のときにはお坊さんの列がありますわね、みんな本山やら偉い寺から来てるからもう錦のすばらしい衣装を着ている中で、円海さんだけが、いちばん最後に僕も加わらせてください、言うて、列に入ったのはいいけど、汚い(笑)。みんな笑うほどの茶色かね、黄土色かね、そういう汚い身なりでその行進についていったんです。
私らもその時は、ひとりだけあれやねえ、みすぼらしいねえ、と言うて見ていたんだけど、なんかその姿に妙に感動するというかねえ。なんか私は、もし弘法さんがおったとしたら、生きとったとしたら、こういう人やないかなあと思うてた」

円海さんは、その後、跡取りのいない寺の養子になって住職になられたという。それまでかれの修行は続けられた。昼間は観光客や他のお遍路の邪魔になっては申しわけないと遠慮して、夜、あたりが暗くなってから「神明窟」で座禅を組み続けていたらしい。
話には、かれがここを去ることになったときの続きがある。

「私らが夜中にたまたま、月を見に散歩していた時のこと。真っ暗闇の洞窟の中でこうジーッと、本当に本当に真面目に座禅を組んでおったんです。朝、明けの明星見に行った時も、白々としてくる明け方まで、ずうっといつから座り続けているか知らんけれど、ちゃんと座禅組んで、修行しよってけんね。凛としてね。
多分うんと正直な人やと思う。僕はこれだけ修行したからこんな奇跡があった、能力を授かったって言うことがなくてね。僕はこんなに修行をしたけれども、そういう力はいただけなかった、言うてました。
正直な人やと思う。その言葉でね、あ、この人は信用できるなあ、と思いましたけどね」

《引用終わり》

私の弘法大師のイメージは、こうではありません。こんなに修行しなくても何らかの力を持っていただろうし、多少誇張するような狡猾さはお持ちではなかったかな…と。

でも、この円海さんの生き様も凄いなと思いましたので、引用させていただきました。一人でも多くの人に、こういう人もいるということを知って欲しいので。

安っぽい手品をみせつけて「これが奇跡だ!どうだ!どうだ!」みたいに驚かして信仰を迫る新興宗教もあるようです。空海の時代には、むしろ一般人のほうが仏教に奇跡を求めたようでもあります。

円海さんは、これとは全く逆なわけです。読んでいて涙が出ました。円海さんにお会いしたいな、と思いました。奇跡なんか起こせなくても、この人は自分の生き様を見せるだけで、多くの人を救えるような気がします。これも、立派な奇跡です。

《つづく》