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「空海の夢」(春秋社)
「21.いろは幻想」を読みました。

いろは歌が仏教の教えを踏まえているという話は前にもありました。

《以下引用》
その「いろは歌」にひそむ無常を引き出したのは、真言密教中興の祖である興教大師覚鑁だった。覚鑁は当時真言宗内部ではあまねく知られていたであろう「いろは歌」を『大般涅槃経』の偈に見立て、密教の底に流れる無常観をさぐりあてることによって作者空海説をさらに万全のものとした張本人である。覚鑁は『密教諸秘釈』第八に「以呂波釈」の一節を設けて、次のようにワリフリを行っている。

色は匂へど散りぬるを(諸行無常)
わが世誰ぞ常ならむ(是生滅法)
有為の奥山今日越えて(生滅滅已)
浅き夢見じ酔ひもせず(寂滅為楽)
《引用終わり》

いろは歌の作者が空海である可能性は低いようです。

《以下引用》
万葉仮名は漢字本来の表意性をかなぐり捨てた音読用の記号文字である。…ただ、誰もが万葉仮名を日本人の創意工夫であるとおもいこんでいるのは、かならずしもそうとばかりはいえない面がある。

たとえば『三国志』魏志倭人伝にみられる有名な卑弥呼(ヒミコ)や卑奴母離(ヒナモリ)や邪馬台(ヤマト)の漢字あてはめのアイデアは、聞きなれぬ日本語音を前にした中国側の史官の当意即妙だったとも想像される。

かれらはすでに訳しがたいインド語のボーディサットヴァ(bodhisattva)を「菩提薩埵」に、プラジニャー(prajna)を「般若」に、パーラミター(paramita)を「波羅蜜多」に音写する能力の持ち主だったのである。その「菩提薩埵」が略されて「菩薩」となってこれが定着すると、もはやボサツという音写記号はひとつの自立する生命をもった新しい言葉となり…
《引用終わり》

不空三蔵が陀羅尼を漢字で写すために、サンスクリット語と漢字との厳密な音韻の対応組織を確立したという話も以前ありました。万葉仮名はこれを参考にしたものと言えそうです。

呉音と漢音の話も興味深い内容です。
《以下引用》
日本においてはまず呉音がさきに定着して、そのあと七世紀くらいから大陸にわたった留学僧によってニューサウンドの漢音がもたらされた。…おもしろいことには、『古事記』は呉音中心の字音を、『日本書紀』は漢音中心の字音を採用した。…仏教界では伝統的に呉音を用いることを慣習としてきた。…ところが遣唐使の往来がさかんになるにつれ、新しい唐文化を吸収しようとした朝廷が、かれらのもちかえる唐音に新しい時代の息吹を感じ、僧侶や学生たちに呉音を禁じるようになってきた。唐音は漢音を主体としているので、もっぱら漢音による言語修得が強く申しわたされたのだ。
《引用終わり》

「呉音から漢音へ」という大転換方針は奈良後期からかなりしつこく通達され、その最後のピークが延暦11年に明経科学生に対する「呉音を排して漢音を習熟しなさい」という決定的な勅令だったそうです。空海が明経科に入学したのは延暦10年です。

以上のこと、お経は呉音で読まれ理趣経のみが漢音で読まれること、を合せて考えると、空海という人についていろいろと想像が膨らみます。

《つづく》