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「唯識入門」(春秋社)
「第五章.識のはたらき」の「一.識の転変」の「アーラヤ識の役割」まで読みました。

世親の『唯識三十頌』の第二偈です。

(三種の転変とは)異熟と、思量と称せられるものと、境の了別とである。そのなかで、異熟とはアーラヤとよばれる識のことで、一切の種子を有するものである。(第二偈)

《以下要約》
安慧の注釈によれば「転変は因の場合と、果の場合に分けられる。因転変は、異熟の習気と等流の習気がアーラヤ識のなかに成長すること。果転変とは
異熟習気がはたらきを得るので、前世の業の牽引が成満したとき、アーラヤ識が他の個体(衆同分)として生ずること、
等流の習気がはたらきを得るので、各種の転識(六種の対象を了別する識)と、染汚の意(すなわち思量のはたらき)がアーラヤ識から生ずること、
である。」とされています。

異熟とは、因と果の性質が異なる関係。善因楽果、悪因苦果というような道徳上の因(善悪)と果(無記)の関係。

等流とは、因と果が同じ性質の場合。刹那刹那の識と識との関係。アーラヤ識⇔思量・了別の作用との間ではたらくもの。その性質は善悪とは無関係の無記なるもの。

了別の機能をもつ六識には等流の習気と異熟の習気の両方が有り得るが、思量のはたらきはただ等流の習気だけを残す。異熟か等流かは識に伴う心作用によって決まることで、識自体は無記。

習気とは、ある作用があったとき、その残す力のこと。次刹那の作用を引き起こす力を持っているので、植物の種子に例えて「種子(しゅうじ:ビージャ)」と呼ばれる。

アーラヤ識はこうした種々の習気の貯え場所(アーラヤは蔵、倉庫)。種子の集合体。アーラヤ識は、顕勢となっていない状態で刹那ごとの相続を続けるので、潜在意識とか深層意識と言っていいだろう。

アーラヤ識は、善悪どんな性質の顕勢態の識の習気を受けても、それ自体は無記であるので異熟だということになる。

アーラヤ識は、輪廻転生におけるある種の連続性(結生相続)を説明すべく仮定された原理、と言える。つまり、過去世の善悪の業の習気の担い手。

また、アーラヤ識は、生まれてから死の瞬間まで、自体を一つにまとめ維持して、個体としての同一性(衆同分)を存続させる役を担っている。この、身体をまとめ維持して個体の存続を成り立たせる機能をアーダーナ(執持)と呼ぶので、アーラヤ識はアーダーナ識とも呼ばれる(『解深密経』)。
《以上要約…詳しくは本書参照》


《つづく》