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人、生きる意味 パート2 に参加中!
先日書きました。「生きる意味なんて無いかもしれない。でも、あると思った方がいいんじゃないか。」

「意味」が見つからなければ、自分で作ればいいのだと思う。「意味」があれば「絶望」しないで済むかもしれない。「絶望」が単なる「苦悩」で終わるかもしれない。…と、「絶望の方程式」は言っている。

しかしながら…

科学が浸透して、みんなが自分を客観的に見つめるようになった。だからかな?

産業革命〜IT革命等々で生活が激変して、今まで考え方が通用しなくなった。だからかな?

宇宙にポツンと浮かぶ青い地球を見て、家だとか、町だとか、国だとか、社会的しがらみが陳腐なものに感じた。だからかな?

今は「意味」が、なかなか決められない。

「お前は長男なんだから、早く大きくなって、いっぱい稼いで、家を支えていかなくちゃダメだぞ」な〜んて、昔は言われたんじゃないだろうか?私は言われなかったけど。でも、そういう空気は私の世代でも、まだ何となく感じてました。

例えば、「リボンの騎士」とか「ベルサイユのばら」とか(こんな例しか、なぜか思い浮かびませんが)、運命に翻弄される人生。「意味」が向こうからやってきて、縛り付けてしまう。自由の無い人生は「苦悩」続きでしょうけど、「意味」があるから「絶望」はしないのかもしれない。

こんな束縛からの解放が、現代までの世界のテーマだったのかもしれない。でも、解放された我々は、束縛してくれる「意味」を探しあぐねている…