トトガノート

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「龍樹」(講談社学術文庫版)
「?ナーガールジュナの思想」の「6縁起」の「3『中論』における「縁起」の意義」と「4従来の縁起論との関係」を読みました。

『中論』の縁起とは相依性(相互依存)。一例を上げれば、
「浄に依存しないでは不浄は存在しない。不浄に依存しないでは浄は存在しない。」

嘉祥大師吉蔵の分類というのがあります。中観派の相待はこれらすべてを包括するとみられています。
1.通待と別待
通待(密待)…長と不長、甲と非甲、など矛盾する概念。
別待(疎待)…長と短、など反対の概念。
2.定待と不定待
定待…生死とニルヴァーナ、色(いろ・かたちのあるもの)と心との関係。
不定待…五尺は一丈に対しては短いが三尺に対しては長い、というような関係。
3.一法待と二法待
一法待…一人が父でもあり、また子でもあるような場合。
二法待…長いものと短いものと二法に関していう場合。

中国の華厳宗は一切法が相即円融にあることを主張しますが、中観派の思想にも類似が見られます。
「一によって一切を知り、一によって一切を見る」
「一つのものの空を見る人は、一切のものの空を見る人である。ひとつのものの空性は、一切のものの空性にほかならない」
《以下引用》…一と一切とは別なものではない。極小において極大を認めることができる。きわめて微小なるものの中に全宇宙の神秘を見出しうる。各部分は全体的連関の中における一部分にほかならないから、部分を通じて全体を見ることができる。実に『中論』のめざす目的は全体的連関の建設であった。
…《引用終わり》


これはホログラムとも類似しています。

前回紹介しました十二因縁について
《以下引用》…
宇井伯寿博士や和辻哲郎博士など近代の学者の研究によって、ブッダが縁起説を説いた真意は小乗一般の解釈とは著しく異なるものであることが明らかにされた。すなわち最初期の仏教においては、十二因縁のそれぞれの項はけっして時間的に輪廻の過程のうちにあって継起する因果の関係によって順序立てられているのではなくて、人間の生存のありかたの構造において順次に基礎づけあっている関係で列挙されているのであり、その真意は、人間が迷っているもろもろのすがたの構造連関を解明しようとするのである。ブッダは形而上学的実体を仮定する当時のインドの思想を排斥して、ただ人間の生存の構造を問題とした。そうして十二因縁のうちの前の項が順次に次のものを基礎づけるという構造をもっていた。
…《引用終わり》


えっ!小乗非仏説ということにはなりませんか?

《以下引用》…
ところが『中論』においては十二因縁のうちの前の一つの項が次の項を基礎づける関係は、さらに極端に徹底的に拡張解釈された。『中論』によると、一切のものの関係は決して各自独存孤立ではなくて相依相資であるというのである。一切の事物は相互に限定しあう無限の相関関係をなして成立しているのであり、何ら他のものとは無関係な独立固定の実体を認めることはできないという主張の下に、相依性の意味の縁起を説いたのである。
 相依性とは「これがあるときに、かれがある」という関係をいうのであるが、原始仏教においては十二因縁のうちで「前の項があるときには次の項がある」という意味であったが、中観派はその関係をあらゆる事物のあいだに認めようとした。そうして中観派はこれを「長と短のごとき」論理的相関関係と解している。
…《引用終わり》


これも一種の相対性理論ですね…

《つづく》
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「龍樹」(講談社学術文庫版)
「?ナーガールジュナの思想」の「6縁起」の「2アビダルマの縁起説」まで読みました。
『中論』の中心思想と目される縁起ですが、これもまず論敵の側から見ています。

ここで、十二因縁というのが出ていますので、とりあえずメモっておきます。

《以下引用》…人間の苦しみ、悩みがいかにして成立するかということ考察し、その原因を追及して、以下のような十二の項目の系列を立てたもの。(1)があるから(2)があるというように観ずるのを順観、(1)が滅びたときに(2)が滅びるというように観ずるのを逆観という。
(1) 無明(無知)
(2) 行(潜在的形成力)
(3) 識(識別作用)
(4) 名色(心身)
(5) 六処(心作用の成立する六つの場:眼・耳・鼻・舌・身・意)
(6) 触(感官と対象との接触)
(7) 受(感受作用)
(8) 愛(盲目的衝動)
(9) 取(執著)
(10) 有(生存)
(11) 生(生まれること)
(12) 老死(無常なすがた)
…《引用終わり》


この章の最後に中観哲学との対比のためのまとめがあるので、それをメモって今回は終わりとします。

《以下引用》…
1. 有部においては『大毘婆沙論』以後四種の縁起が認められていたが、有部が最も力説したのは「分位縁起」であり、後世になれば、縁起とは衆生の生死流転する過程を述べるこの胎生学的な解釈がほとんど他の説を駆逐するに至った。
2. 『品類足論』において、縁起とは一切有為法をさすというために、後世、問題の中心となり、種々の方面に影響を及ぼしている。
3. これに反して縁起を無為法なりと主張する派もあった。
4. 「これがあるとき、かれがある。これが生ずることから、かれが生ずる」という縁起の共通趣意を示すことの文句は有部においても保存されていたが、ただしこれは「縁によって生ずること」という時間的生起関係を意味しているとされていた。
…《引用終わり》


《つづく》
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