ある罪状に対して、どのくらいの刑罰が適切であると思うか?という調査を、裁判官と一般人に対して行った結果が新聞に出ていました。裁判官は軽い刑罰を、一般人は重い刑罰を選ぶ傾向があるとのこと。裁判官の常識と一般人の常識とのズレが明らかになった形です。

 私個人としては、「復讐法」のハムラビ法典が一番合理的なのではないかと思っています。また、仇討ちが認められていた江戸時代の法律はなかなか粋だな、と思います。ですから、裁判所が下した判決に首を傾げてしまうことは、最近非常に多いです。人を裁くことは難しいですが、裁判官という極めて特殊な一部の人の判断が、果たして適切といえるのか?非常に難しい問題です。

 人の仕事を評価するのも非常に難しいことだと思います。会社に勤めていたときに、能力主義が導入される中、いろいろと考えることが多かったです。優秀かもしれないけれども、上司という極めて特殊な一部の人の判断が、果たして適切といえるのか?

 それで気づいたのが、「商売」がすごく民主的だということでした。「あなたが提供してくれる品物(あるいはサービス)に○○円払いますよ」というのは、自分に対するお客様の評価です。極めて普通の多くの人たちから、毎日お金をいただくという形で評価されているわけです。

 これが、私が会社を辞めた数々の理由の中のひとつだということを、思い出しました。自分が設定した値段どおり、お客様から払っていただけるということは、自分の仕事が評価されたということです。そしてそれは、自分の存在意義を認めてもらえた瞬間でもあります。

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