トトガノート

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「空海の風景」(中公文庫)
「『空海の風景』を旅する」の「エピローグ」を読みました。

当時NHKエンタープライズ21文化番組チーフ・プロデューサーの鎌倉英也さんの文章です。

《以下引用》
…司馬遼太郎が作品のテーマに掲げた「天才」の成立条件とは、一体なんだったのだろうか。
その回答が、ようやくおぼろげながら見えてきたように思った。
「空海」とは、限りなくゼロであり、無限だということである。枠外しということである。本当の意味での平等とは、自分が向き合う人をある枠付けしたフレームから見ている限り果しえない。国家であり、民族であり、宗教であり、性別であり、貧富でもある。…
枠のない平等な世界などこの世にあったためしはないし、理想の産物だとも言える。…
それを行おうとしたのが、実は空海だったのではないか。
枠とは、実は外側にあるのではなく、自分の心の中にある。
自分の表皮を一枚一枚めくって削ぎ落としていった時、私たちはたまらない不安におちいる。そして、ふたたび、皮をまとって自分と他者を区別し、差別する。人にとって、自分の心の枠を外そうとすることは、みずからの崩壊につながるほど恐ろしいことなのだ。
その不安な作業を、終生、行っていったのが空海ではなかったかと思う。
「天才」とはまさに、その不可能にたえず挑んでいった人間だったのではないかと思える。
…《引用終わり》

まあ、私はそんなふうには余り感じなかったのですが、ノートしておきました。私の空海を追う旅はまだまだ続きますので、いずれ読み返してみたいと思います。

《最初から読む》
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「龍樹」(講談社学術文庫版)
「まえがき」と、「?ナーガールジュナ(龍樹)の生涯」の「はじめに」と「1『龍樹菩薩伝』」を読みました。

《以下引用》…大乗仏教は、もろもろの事象が相互依存において成立しているという理論によって、空(sunyata)の観念を基礎づけた。空(sunya)とは、その語源は「膨れあがった」「うつろな」という意味である。膨れあがったものは中がうつろ(空)である。われわれが今日数学においてゼロと呼んでいる小さな楕円形の記号は、サンスクリット語ではシューニャ(空sunya)と呼ばれる。それが漢訳仏典では「空」と訳されているのである。ゼロはもともとインド人の発見したものであるが、それが西紀1150年ころにアラビア人を通じて西洋に導き入れられたのである(アラビア数字はその起源に関するかぎり、インド数字なのであって、アラビア数字ではない)。…《引用終わり》

「はじめに」の一節です。インドは現代においても数学を重視し、
数学教育に力を入れているようです。

数学も自然数だけを扱っているうちは高級感が無いのですが、ゼロという概念が入ってくるとアカデミックな感じがしてきます。仏教においても「空」の概念は非常に大きなもののような気がします。量子力学との類似も興味あるところです。

考えてみると、私は般若心経(色即是空空即是色)以上のことは何もわかっていないのかもしれない。だから、どうしても龍樹さんについては勉強しなければ、と思っておりました。

龍樹さんは小さい時から大天才で、わからないことは何もないと言われていたようです。若い頃は悪いこともし、才能ゆえに高慢にもなったようですが、龍から教えを受けて(?)…。と、どこまで本当かわかりませんが、昔の話ですから仕方がないでしょう。でも、「私も若い頃は手がつけられないワルだったんですよ。」と言うような人が、発心について説いたら説得力はありますね。

「八宗の祖師」と呼ばれる人ですから、宗派に関係なく、大乗仏教を知るためには避けては通れません。難しそうな本ですが、頑張ります。

《つづく》
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