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「もっと伸びる生徒を伸ばしていないのではないか」(1981年)
「私たちが世の中にできること」(1981年)
「公文式が生徒から学んできたこと」(1981年)
上記3編を読みました。

子供を連れていろんな所に行きますと、いろんな人の子供の扱い方をみることができます。子供の扱いが上手だなと私が感じるのは、子供に合わせた対応ができる人。

子供というのは本当にいろんな反応をします。突拍子もないことを言います。それをきちんと聞き分けて、的確に対応できる人。慣れてるなと思います。

たまに自分に合わせようとする大人がいます。突拍子もないことを言った子供に対して「そういうことじゃなくてね…」とやる人。子供はすっかり白けてしまいます。利口な子供だと我慢してそういう大人にも合わせてくれます。大人は自分が子守りしていると思っているけれども、実際は子供が大人の子守りをしてあげている。

わが娘も、ついこの前、生まれてきたと思ったら、もう数を数えたり、ひらがなを読んだりしています。こいつも人間なんだなあ、と思う。そして、人間が創った文明なんだから、人間に習得しやすくできているんだろうなあ、と思う。

子供が興味を持ったときにすぐ教えてあげれば、覚えて忘れないものです。逆に「それはまだ早いから後で教えてあげるね。」と言って教えず、「今日はこれを教えてあげるね。」と言って子供が全く興味のないものを教えたらどうでしょう。全く覚えないし、嫌われるだけです。

公文式が目指しているのは、子供に合わせた教育。「これは来年習うことになっているから教えないよ」という大人(文科省)に合わせた教育では断じて無いということですね。

今の子供たちは、大人の子守りをさせられているのかもしれません。

《つづく》