トトガノート

「鍼灸治療室.トガシ」と「公文式小林教室」と「その他もろもろ」の情報を載せています。

Category:★鍼灸治療室トガシ > 小さな偉人伝

ある日、秋葉さんの家の前を通りかかると、提灯が下がっていた。「御霊燈」と書いてある。まさか、と思ったが、三日後に次回の予約が入っている。ちょうど息子さんが立っていたので、車を止めて聞いてみた。

「すみません。どなたか、亡くなったんですか?」

「はい。父が…」と息子さん。

「急に?先週伺った時は元気でしたが…」と尋ねると、
「自分で」と息子さんが答えた。

「え?」私は信じられずに聞き返した。息子さんは首を抑えて見せた。たまらない、という表情だった。

「皆に世話になった、と書いてありました。あなたのことも書いてありましたよ。」
その後のことはよく覚えていない。どんな表情をして、どんな言葉をかけて、その場を立ち去ったかを。

数日後に告別式があった。秋葉さんの遺影は軍服を着ていた。

遺族席には若い人もいた。家族は独身の息子さんだけと思っていたが、娘さんもいて立派なお孫さんも何人かいるようだった。この人たちが、時折、秋葉さんの家を訪れ、賑やかな一時もあったのだろうと想像できることが救いだった。

私は、式の間じゅう、軍服の遺影を見つめながら、「若い者に苦労をかけるな…」と言った彼の気持ちを考えていた。

亡くなった戦友も何人かいたことだろう。そいつの分も代わりに生きてやる、と思ったりもしたことだろう。そいつらの代わりに自分もこの国の復興の力になる、と気負ったりもしたかもしれない。

この世代の人たちには、他人の世話になってはいけないという考え方がある。老いていく我が身に苛立ちを募らせる中、周囲から差し出される救いの手も彼にとってはつらいものだったのかもしれない。

彼は侍だったのだ。

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その日、秋葉さんは近くのスーパーに買い物に行ったと話してくれた。

久しぶりのことだったらしい。もしも、秋葉さんが女性で、娘と二人暮らしというパターンだったら、毎日のように一緒に買い物に出かけたことだろう。しかし、男には、気分転換に買い物に行くという発想は起きにくいようだ。

買いたい物があってお店に向かい、目的の売り場に真っ直ぐ脇目も振らずに進み、物が見つかればそれだけを持ってレジに向かう。「男の買い物」とはそういうものとされている。ミッションであって娯楽ではない。

尤も、それも変わりつつあるかもしれないが、秋葉さんはどうみても昔のタイプの男だ。

彼のことだから、おそらくカートに身を預けるように寄りかかり、売り場を回ったに違いない。足が悪いのは一目で分かる歩き方。レジの女性が買った物を運んでくれたという。

「親切だった。良い世の中になったものだ。」

昔と違う世の中を見て驚く浦島太郎のようだった。でも、彼はそれを嘆く浦島太郎ではない。彼は、現状を喜べる浦島太郎だ…と、その時の私は信じて疑わなかった。

「若い者に苦労をかけるな…」と彼はつぶやいた。

「そんなことないですよ。今まで秋葉さんたちが苦労してくださったんですから、当然のように甘えて良いんですよ。」

私は秋葉さんの言葉に、重い意味が隠されていることに全く気付かなかった。

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ある日、秋葉さんを訪問すると、彼は新しい座椅子に座っていた。他のお客様のところで見たことがあるので、すぐに分かった。介護用の座椅子である。ひじ掛けのところにレバーが付いていて、これを操作すると電動で昇降する。立ち上がる時に座面を上げれば、秋葉さんのように足が痛い人はとても楽である。

「新しい座椅子ですね!?」と言うと、秋葉さんは得意げにニヤリとした。

少し前から介護保険の手続きを進めていて、やっと座椅子を安く借りることができるようになったとのこと。オムツも入手できたらしい。

「良い世の中になったもんだ…」と彼はつぶやいた。

しかし、それから数か月後のこと。この座椅子が無くなっていて、以前使っていたシンプルなものに変わっていた。

「座椅子はどうしたんですか?」と尋ねてみると、急に借りることができなくなったとのこと。

正確なことは分からない。ただ、介護保険の財政が厳しくなったので、基準を見直すというような話が巷で言われていた。

それから、こんな噂もあった。秋葉さんの家から数軒先の家に老夫婦が住んでいて、介護認定を受けていた。ところが、たまたま市の職員が様子を見に訪問したところ、立つこともままならないはずのお婆ちゃんが木に登って作業をしていた。それで介護認定が取り消しになった。それがきっかけで、認定状況を厳しく見直すことになったというものだ。

秋葉さんは、嘘の申告をするような人ではない。彼には電動昇降の座椅子が必要だった。噂が本当であれば、とんだとばっちりを受けたことになる。

今になって思うと、秋葉さんの気持ちが変わっていったのは、この出来事あたりからのような気がする。しかし当時の私は、彼の様子から何も読み取ることができなかったのだ。

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あるお客様から、オムツが余っているので要らないか?と言われた。介護保険でオムツが入手できるようになったので、それまで買っておいたオムツが少し余っている。あなたのお客さんで、もし介護保険が適用されるまでの間とかで、オムツが必要な人がいたら役立ててほしい…という有り難い申し出であった。

その時は、あては無かったので、少しだけ頂戴した。当時は、私たち夫婦は花火大会によく出かけていて、大曲の花火ともなれば仮設トイレのまえに長蛇の列ができる。打ち上げ開始後に行きたくなれば、せっかくの花火の大半を仮設トイレ越しに見る羽目になる。だから、花火に行く時でもはいて行こうか(笑)なんて話をしていた。

そんな矢先、秋葉さんがトイレに困っていることに気がついた。尿漏れしているようなにおいを感じたのだ。

私は何気ない感じを装って、
「すぐには立ち上がったり歩いたりできないから、トイレも遠く感じるでしょうね…」と言ってみた。

すると、間に合わなくて履き替えなければならないことがよくある、と彼は打ち明けた。しかも、尿意を感じにくくなっているらしい。

そこで、私はオムツを薦めてみた。寝たきりでもないのにオムツを使うという発想は彼には無かったようだ。
「結構、みんな使ってるんですよ。特に女性は尿漏れしやすいから、使っている人は珍しくないです。元気な男性の方でも尿意を感じない人は結構います。みんな使ってます。だから、全然恥ずかしいことなんかないですよ。ちょうど別なお客さんから頂いた物があるので、試してみませんか?良い様だったら、買って下さい。薬局に行くと簡単に手に入りますから。」

オムツに戻るということは、人にもよるけれど、自分のプライドを克服する必要がある。彼の場合はどうだろう…。

施術が終わってすぐに、頂いたばかりのオムツを取りに行き、秋葉さんに渡した。

「便利になったな…。」と、喜んでくれた。私はホッとした。

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私は、一時期、お客様にセラバンドを2mくらいずつカットして、プレゼントしていたことがある。

当時は今ほど、お年寄りに運動を薦めるという雰囲気は無かった。婦人会などでは、ペットボトルに米などを入れた物を持って踊るのを広めようとしていたかもしれない。でも、そういう活動に参加している人は元々活動的な人で、本当に運動をしなければいけない人は「諦めること」を決め込んでいた。

どちらかと言えば、私のお客様はこういう悟りに達した境地の人が多かった。体の衰えを感じた時に運動ではなく治療を考えるのは、方向性として他力本願である。その辺の意識改革を目指して、「黄色いハンカチ」のような「黄色いゴムバンド」をお客様に配布して、運動を薦めていた。

筋力低下を抑えるには負荷をかける必要があるけれども、手軽な物として思い浮かぶダンベルでさえ落とすと危険である。最も安全な筋トレ手段はゴムバンドしかない!そんなふうな説明をして回っていた。

それでも、本当にゴムバンドで運動してくれた人はどれくらいいたのか…。

「これ、使ってるんだよ」と言ってくれたのは、実は秋葉さんただ一人だった。

見ると、黄色いゴムバンドが座椅子にくくりつけてあった。彼は座りながら、手で引っ張ってみせてくれた。

嬉しそうだった。そして、私も嬉しかった。

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一人暮らしのお年寄りは、曜日の感覚が無くなってしまう人が多い。秋葉さんの場合は息子さんと二人暮らしだけれど、息子さんはもう会社を退職しているので曜日に無関係の暮らしをしている。だから、秋葉さんも曜日の感覚が無かった。

曜日の感覚を補うために新聞を取っているというお年寄りは意外と多い。今日が何月何日で何曜日なのか、配達された新聞で確認するのだ。

秋葉さんは新聞のテレビ番組欄を見て放送される番組を確認し、曜日の感覚と共に一日の時間の感覚を保っていたらしい。ところが、息子さんが新聞をやめてしまった。彼は一日の中の時間的な取っ掛かりを失ってしまった。施術中に、彼はそれを嘆いた。

現在、新聞の存在意義は大きく揺らいでいると思う。テレビの番組欄を見るために取っているという人もかつては多かった。しかし、地デジになってからはボタンを押せばテレビに番組表が表示される。

我が家では、私の場合は、スマホでニュースが見られるようになってから、新聞を見る習慣が無くなった。妻は毎日目を通しているが、新聞よりもスーパーの売り出し広告の方が重要なようである。父はおくやみ欄に必ず目を通し、自分よりも若い人が何人死んだかを数え、ため息をつくのが日課である。

久しぶりに我が家の新聞を手に取ってみると、テレビの番組欄だけ別冊になっていて、週に一度折り込まれてくることに気づいた。これが無いと困る人がいるかどうか家族に当たってみたが居なかったので、これを秋葉さんに毎週あげることにした。

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その日、秋葉さんの予約は午前11時からだった。

訪問すると、玄関先にお金の入った封筒が置いてあった。封筒には、
「ヤクルト配達の方へ
いつも配達ありがとうございます。出てくるまでに時間がかかりますから、代金をここに置いておきます。」

意外に(と言っては失礼なのだが)細やかな気配りができる人なのだと思った。自分に対する配慮ではないけれど、こういったことを目にするのは嬉しいことである。

施術していると、「どーもぉ!」と玄関で男の声がして、何かを置くと帰って行った。

「誰か来たみたいですよ。」と言うと、
「弁当だべ」と秋葉さん。

秋葉さんの妹さんが3軒隣で工場をしている家に嫁いでいるとのこと。弁当を持ってきたのは、その息子だから秋葉さんの甥ということになる。工場で弁当を取っているので、秋葉さんの分も一緒に頼んでいてお昼前に持ってきてくれるらしい。

施術が終わって帰る時、時刻はほぼ正午である。私は玄関先に置いてある弁当を茶の間のテーブルまで持ってきた。
「さあ、どうぞ」

ほんの3メートルくらいの距離。でも、膝の痛い人にとってはとても遠いのだ。
「ありがとう」と、秋葉さんは言った。

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秋葉さんは80代。左の膝が痛むので、家の中でも杖をつき、足を引きずるようにして歩いている。その他に特に痛い所はないが、膝の痛みだけでもかなり行動は制限されて、何をするにも億劫になっている。

「お一人で暮らしているのですか?」と尋ねると、

「息子と二人です。息子には嫁もいたんだけど、別れてしまった。私の妻も亡くなってしまって…この家は全く女に縁がないのです。」と言って、秋葉さんは苦笑した。

息子さんは会社を定年退職しているとのこと。確かに言われてみると、二階に人の気配がする。食事や洗濯などは息子さんがするのだろう。

週に一度のペースで、秋葉さんのところに通うことになった。しかし、息子さんに初めてお会いしたのは数カ月してからのことだった。

「こんにちは〜」と言って玄関の戸を開けると、すわって靴を履いている。顔がそっくりだったので、息子さんだとすぐにわかった。

「お世話様です」と軽く挨拶をして、出かけて行った。杖をつきながら。息子さんも、足が悪かったのである。

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ある日突然、というかお客様からの電話はいつも突然なので、そういう意味では全然突然ではないのだけれど、秋葉良蔵さん(もちろん仮名)から電話をいただいた。内容は誰かから聴いているらしく、特に何か尋ねるでもなく、ただ日時だけを決めて電話は終わった。

秋葉さんの家は、古い家だった。かやぶき屋根にトタンをかぶせた家。私が子供の頃によく見られた(我が家もかつてはそうだった)。旧街道沿いに前から建っている家なので、見覚えがある。初めて訪れるという感じがしない。

「御免下さい」というと、目の前の戸がサッと開き、元気でいかにも世話好きそうなおばさんが顔を出した。

「私、あなたのお父さんの同級生なんだけど、あなたがこういう仕事してるっていうもんだから紹介したのよ。秋葉さんの奥さんはもう亡くなったんだけど、生前私のお店に手伝いに来てくれていたのね。今日は命日なのよ。お参りさせてもらったから帰るわね。」と早口で説明して、帰って行った。

無口な男二人が残された。隣の仏間からは線香の匂いが漂っていた。

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それ後、スエさんから電話が来るのは、息子さんかお嫁さんがこちらに来ている時が多くなった。

息子さんは外の方、家の周りを片づけていた。お嫁さんは家の中を整えていた。スエさんの家は少しずつ手入れの行き届いた小奇麗なものへと変わっていった。

いつの間にか、電話が来なくなって数カ月が経った。翌年の元旦、信市郎さんとスエさんから年賀状が届いた。住所は老人ホームになっていたが、やはり鎌倉の老人ホームではなく、さくらんぼの森の中にある老人ホームだった。

その年末には信市郎さんが亡くなり、喪中のハガキを頂いた。面会に行けばよかったと、今も悔やまれる。

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