トトガノート

「鍼灸治療室.トガシ」と「公文式小林教室」と「その他もろもろ」の情報を載せています。

Category:★鍼灸治療室トガシ > 心理学研究

これまで英語の勉強というと、まず単語の暗記を始めた。英語の勉強とは、英単語と日本語の単語の対応関係をたくさん覚えること。そして、英語→日本語変換を素早く行えるようになること。

でも、そこが根本的な間違いだったようだ。

・単語の意味は状況で決まる

「日本語の上に英語を築こうとするのは間違い」という指摘をある本の中に見つけた。

エッ!なんで?

英語の辞書を開いて英単語ひとつひとつを見た時、一つの意味しか書いていない単語は珍しい。頻出単語ほど、意味はたくさんある。いろいろな意味で使えるから頻出単語なのだとも言えるが。

で、今はどの意味で使われているかの判断はどうやるか?
会話中であれば状況。読書中であれば文脈。

極端な例だが、相手が乳幼児であれば「ママ!」という単語はおよそ全ての意味で使われるだろう。
「お腹すいた!」「眠いよ」「今何してるの?」「どうして笑っているの?」「ウンチした」

単語の意味は状況の中にあるのであって、その単語自体にはない。だから、英単語と日本語単語の対応関係を覚えることに注力するのは無意味とは言わないまでも、いずれ必ず壁にぶちあたることになる。

・既に英語教育は変わっていた?

このことを念頭に世の中を見渡してみると、英語教育全体とは言わないまでも、それを折り込んだ教材が増えていることに今更ながら気が付いた。

数年前ブームになった「CDを聴くだけ!」という教材もその一つかもしれない。英会話を聴きながら、その状況をイメージし、状況と英語表現を覚えるのだ。

だから、この教材を使っても、状況をイメージせずに漫然と聴いていたら余り上達はしないだろう(単語を聞き取る「耳」は養われるかもしれないが)。かと言って、一生懸命「今の get は日本語で言うと…」といちいち英語日本語変換しながら聴いていてもダメ。

この教材が自分に合わなかったのはこういうことだったんだなと、納得してしまった。

・公文式教材も変わっていた!

で、気づいたことがある。ある事情により私は公文式の昔の教材も見ることができるのだが、公文式もいち早くこれに対応していた節がある。

単語一つ一つの意味へのこだわりが薄くなっているような気がする。昔は英文法専門の教材もあったようなのだが、今は使われなくなった。

そこで、一年ほど前から足踏みしていた公文の英語を、再開することにした。

・「ひたすら音読する学習」を試行中

今回は自分の新しいやり方を試している。その方法とは、ひたすら何度も音読すること。

プリント一枚の英語をイー・ペンシルで一回聴いて一回音読。これを一日15枚のプリントで行う。

毎日一枚、15回音読が終わったプリント一枚が終了し、新しいプリント一枚に進んでいく。一枚ずつ入れ替わりながら、一枚のプリントを15日間かけて15回音読することになる。

最初は訳文と見比べないと意味は分からないが、二回目以降は訳文を見なくとも状況はイメージできる。このイメージを大切にして聞き取りと音読を繰り返す。このプロセスに一切日本語は介在しない。自然に介在する時はもちろんあるが、その処理を行った脳細胞を他の脳細胞は無視するようにしている。

そのうち、歌を何度も聴いているといつの間にか覚えるのと同じように、センテンスや単語のイントネーション、発音とアクセントなどをいつの間にか覚えている。

5〜10回音読を終えたタイミングで、プリントの問題を解いている。まず間違えることは無いし、時間もかからない。

もうすぐ、バイリンガルになる予定(笑)。
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次女が小学校を卒業した。卒業式の日の夜は保護者が先生方に感謝を表す会があり、例年余興をすることになっている。私たちがやることになったのはこれ。「バナナマン日村のバブリーダンス」。



こういうテレビ番組は最近全然見てなくて、とんねるずや天海祐希さんたちが何で笑っているのか分からなかった。その上、ダンスなんて中学生の時のフォークダンス以来じゃないだろうか。

ともかく、やるしかない…。

ところがである。何回も動画を見ているうちに笑えるようになってきた。そして、動きを解析しているうちに、このお姉さんたちがカッコよく見えてきた。

素早い動きなので、映像をスマホで連写してコマ送りで何度も見た。手や足が何度も動いているように見えるのは残像による錯覚で、それほど動かしていないことが分かった。

というより、その効果を狙って振付を考えているわけで、凄い!と感動してしまった。

最初の練習で左膝がグキリと言った。少し腫れて痛みがある。半回転して左足だけでジャンプする動きがある。全く難易度が違うが「羽生結弦選手も頑張ったんだから」と自分に言い聞かせた。

出来の方は、他人の評価はいざ知らず、自己採点では満点である。若い頃よりもうまくできた自信がある。なぜなら、今の私には脳科学の知識があるから。

まず、動作を間違ったら、今のは違うという事実だけを受け止めて、後は忘れる。正しい動作はどうなんだろうということだけを考える。「どう間違ったんだろう」と反芻するのは禁忌。

逆に、うまくできた時には大袈裟に喜ぶ。大いに自分で自分を褒める。何度も反芻する。良いイメージの反芻とは、言い換えればイメージトレーニングである。

以上2点を留意するだけで、今までの自分では信じられないほど短時間の練習で、ほどほどのクオリティーを出すことができた。

自信がついた。エフィカシー(自分の能力に対する自己評価)が上がった。

今度は何に挑戦しようかな…。
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私は仕事でアメリカに行ったことがある。記憶の整理をしていて思い出した。

日本が大きく経済成長したために、こっちに仕事を回せという圧力がかかったらしい。いわゆる「ジャパンバッシング」である。通産省から私が勤めていた会社に指示があり、たまたま私が担当していた仕事がアメリカの会社に依頼されることになった。仕事の内容を説明するため、渡米ということになった。

入社数年にして米国出張。しかもゲスト待遇。こんなことは最初で最後かもしれない。一生分の運を使い切った感じだ。

初めての国際便。隣の席には白人の男性が座っていた。成田からJFKまでは12時間。トイレに行く時に、隣の彼は私のスリッパを履いて行った。運を使い切ったために見舞われた最初の不運である。

こういうことは最初が肝心だ。彼が戻ってくるなり、私は言った。

「これは私の初めての海外出張です。出発する時の先輩の第一のアドバイスは、機内に備え付けのスリッパをホテルまで持って行きなさいということでした。ベッドに入るまで靴を履いているような習慣が我々日本人には無いから、部屋ではそのスリッパを使うととても快適だと教えられたのです。どうか、そのスリッパを返してください。」という意味を込めて…Excuse me. It's mine.

彼は…
「そんな大切なスリッパだとは知らなかった。さっきは急いでいたし、暗かったし、足元に有ったので、ついあなたのスリッパを履いてしまった。すまなかった。これは返すよ。」という意味を込めて…Oh! と言った。

それから数時間、着陸するまで私たちは一言も言葉を交わさなかった。着陸が終わって飛行機が滑走路をゆっくりと移動している時、彼は言った。

〇△◇×÷%☆◎CNN▽⇔※♂‰∩@〇△◇×÷%☆◎Taiso no Rei♂‰∩@〇△◇×÷%.

「私はCNNの記者だ。日本には大喪の礼の取材に行ってたんだ。」と言っていることがすぐに分かった。それは平成元年2月下旬のことだったのだ。

窓の外、ニューヨークの景色を指差して、彼は続けた。
×÷%〇△◇×÷%☆◎〇△◇×÷%☆ your first visit ♂‰∩@〇△◇×÷%△◇×÷%☆Liberty◎▽⇔※♂‰∩@.

「初めてらしいから教えてあげよう。あそこに小さく見える緑色の物体が自由の女神だ。」と言っていることがすぐに分かった。

「なるほど。最初に目にするアメリカの景色として、そんな歴史的な建造物を見ることができて私は嬉しい。でも、教えてもらわないと分からなかった。こんなに小さく見えるなんて、本当にニューヨークは大きな都市だ。あなたの隣に座ることができて本当に良かった。ありがとう!」という意味を込めて…Oh! と言った。

このように、滞米期間中、私は一言一言に多くの意味を乗せて英会話を楽しんだ。現地スタッフの一人からは、
Your English is very good! But I can't understand. Hahahaha!
という賛辞を頂いた。
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今回、次女が進学する学校の都合で、郵便局に行った。

処理を待っている間、お婆さんがやってきた。彼女は窓口の順番を待つために、紙片を取らなければいけないことを知らなかった。更には、彼女はその紙片に番号が書いてあること、彼女の順番はその番号によって知らされること、彼女の番号を呼ぶのは目の前のお姉さんではなく機械の合成音であることを知らないようだった。

おかげで、私はお婆さんの肩を叩き「順番が来たので、あの窓口へどうぞ!」と言う機会を与えられた。

「俺は何ていい奴なんだ。」と自分で自分を褒めていると、今度は杖をついたお婆さんが娘さんとおぼしき人に付き添われて入ってきた。私は、自分が一番窓口に近い席、もし優先席を設けるならこの椅子になるだろうと思われる席に座っていることに気がついた。

「ここ、どうぞ。」と言って、席を譲る機会も与えられた。

親切をすると気分がいい、ということに改めて気がついた。ホモサピエンスがこんなに繁栄できたのは、利他心を持っていたからではないかという説を本で読んだばかりだった。ネアンデルタール人とかと生存を争っていた頃に、自分の仲間を助けることにささやかな喜びを感じる遺伝子を獲得し、それが優位に働いたのではないかという仮説だ。

親切は御礼を言われたいからではない。「俺は何ていい奴なんだ。」と思うと気持ちいいからだ。確か、オキシトシンが出ると言われている。オキシトシンは健康にも良い。

「情けは人の為ならず」ということだね。
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車の左側のドアを開けて、運転席に座る。室内が広い割には運転席は幾分窮屈に感じる。でも、その窮屈さは、シートベルトを締めてステアリングを握った時、しっかりコックピットに納まったという安心感に変わる。ステアリングの真ん中にはバイエルンの青空を表わすエンブレム。イグニッションを回すと、ブルンと音を立てて白い虎は大きく身を震わせる。アイドリング状態でも、喉を鳴らして唸り続ける。アクセルを少し強く踏もうものなら、虎はアスファルトに爪を立て、キーッと道路が悲鳴をあげる…

かつて、左ハンドルの外車に乗っていたことがある。記憶の整理をしていて思い出した。地味な私の人生の中では、珍しい思い出だ。外車なんて自分の性に合わないと思っていたが、とても状態の良い中古で、安くするからと言われ、渋々入手した。

新潟の社長夫人が所有していたという代物で、白くて上品なのだが、エンジンを回せばなかなかの暴れん坊。アクセルの加減に敏感に応えてくれる快感は、車に詳しくない私にも分かった。沈み込むようなFR独特の加速とアウトバーン仕様の高速での安定感もたまらなかった。

高速を毎日飛ばしたい、サービスエリアに住みたい、とさえ思った。

今現在は軽自動車に乗っている。運転席はもちろん窮屈だが、しっかりコックピットに納まったと感じられる。ステアリングのエンブレムは六芒星。これはバイエルンの夜空に光っている(ことにする)。イグニッションを回せば、子猫なりに身を震わせる。ハイブリッドではないので、エンジン音はゴロゴロ、周囲を威嚇する。

運転しながら、記憶を基に外車を運転している臨場感を重ね合わせる。繰り返していると、運転時の快感を錯覚できるようになってきた。たかが軽自動車を運転しているのにワクワクする。

…面白きこともなき世を面白く。
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平昌オリンピックが終わった。感動のシーンが何度も繰り返し放送されている。何度見ても飽きない。

自分の力を出し切った瞬間、勝利を確信した瞬間、メダルが確定した瞬間、喜びが顔や体に表れた姿は見ている側も嬉しくなる。真似したくなる。

ガッツポーズ、パワーポーズとも言うらしい。このポーズをしただけでテストステロンとかが分泌され、その後のパフォーマンスにも良い作用があると言われた。その後、反証されたりもしているが、自分的には良い作用があるような気がする。

「自己変革は達成可能な目標設定から」という言葉をJ.K.ローリング氏(ハリーポッターの著者)のスピーチの中に見つけた。

もちろん金メダルを手にするまで一切喜ばないというスタンスもアリだと思う。でも、一度も喜べない人生になってしまうかもしれない。

それよりは小さな勝ちを積み上げていく方が良い。その都度喜べるから多分こっちの方が楽しい。

朝、目を覚ます。やった!今日も生きてる!ガッツポーズ。

起きた。ちょっと腰が痛いけど、立てる!ガッツポーズ。

痛いのは生きてる証拠!ガッツポーズ。

朝食がうまい!ガッツポーズ。

ティッシュがゴミ箱に入った!ガッツポーズ。

当たり前と片付けずに、ガッツポーズで勝点を稼ごう。

どんなに小さくても、連戦連勝が続くと、ちょっとしたことではへこたれない。
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最近、これまでの人生を振り返り、記憶を整理している。うれしかったこと、楽しかったこと、誇らしかったことなどを思い出し、エバーノートに書き込んでいる。

妻に話したら、「終活?」と怪訝な顔をされた。エンディングノートと間違えたらしい。

それはいいとして、その目的なのだが…

先日、あるお爺さんとお話していたら、どんな話題になっても必ず最後は彼の自慢話になることに気がついた。

凄い!「大丈夫たる者、まさにかくの如くなるべし(十八史略?)」と思った。

老いて視力も聴力も衰えているとは言え、日々いろいろなことを見聞するなかで、彼も心の中で何かをつぶやいている筈である。その内なる声は、どんなことを引き金につぶやき始めたとしても、落ち着くところはきっと彼の自慢話に違いない。

これに勝る長寿の秘訣は無いだろう!と思った。

で、自分の良い思い出をかき集めて組合せ、どんな話題から始まっても良い思い出に行きつくような思考パターンを作ってみようと考えたのだ。

例え「この老いぼれ!クソジジイ!」と罵られたとしても、最終的に私の内なる声は自分の自慢話に行きついて、過去の栄光に耽ることになるのだ。

どんな攻撃をされても自分のエネルギーに替えてしまう恐ろしい怪獣…宇宙大怪獣ベムスターのように。

昔、「…と日記には書いておこう」というCMがあった。


記憶は作り変えることができるらしい。日記に書けば、それが真実になるということもあるだろう。

実際、あのお爺さんの話も本当かどうか分かったものではない。確認のしようもないが、そもそも確認しても仕方がない。その場に居合わせた誰よりも長生きした者の勝ち。

つまりは日記も書いた者の勝ちだ。
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あっという間に半世紀も生きてしまった。この期に及んで、我が人生最大の過ちに気づいた。

「謙虚」と「自責」は、やってはいけないのだ。

もちろん、社交辞令はこの限りではない。うわべだけのことなら、やってもやらなくても、どちらでも構わない。しかし、「内心」とか「本音」とか呼ばれる最も内輪の場所にこの二つを持ち込んでは絶対にいけない。

これまでの私は「謙虚」と「自責」を大切にしてきた。普段の私を知る人が納得できないと言うなら「うわべのことを言っているのではありません」と付け加えよう。

もし持ち込もうものなら、心の晴れる日はなかなかやって来ないだろう。おそらく、うつ病への入り口はここいら辺にあるのだろう。

「謙虚」と「自責」は自分自身の自己評価を下げてしまう。心の中で、青空を見上げることができなくなってしまう。

内なる声が繰り返すべき言葉は「俺はすごい!」「I'm good!」
失敗した時には「自分らしくなかった。」「It's not like me.」

これを繰り返すと、心の中の焦燥感は無くなっていく。というよりは、無くなるまで繰り返すと言うべきか。

すると、幾分余裕が生まれて来る。その余裕を取り戻してからの「謙虚」と「自責」は害が少ない。

とにかく、少しでも焦燥感がある時の「謙虚」と「自責」は絶対禁忌だ。
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先日「何歳ですか?」と聞かれたが即答できなかった。

隠そうとしているわけではない。十の位は分かるが、一の位がいくつだったか忘れた。
「19□□年を2018年から引くと…」と計算して、やっと答えた。
「50過ぎるとそうなるんですかね?」と30代の彼に言われた。

考えてみると、自分の年齢を意識する必要は余り無い。

「もう〇年生になったんだから…」なんて説教されることはない。する側に回った。
電車賃は随分前から子供料金の倍額払わされている。
SNSデビューを待ちわびることもなく、SNSができる前に社会人になっていた。
酒を飲んではいけない理由は年齢ではなく、内臓の事情になった。

逆に、年齢の話題を引っ張ると不愉快な事実にばかり出くわす。

親戚の○○さんは自分より若くて亡くなったとか、娘の同級生のお爺ちゃんは自分より若いとか、担任の先生のお母さんが自分より若いとか…。

年金の受給年齢が間近になるまで、年齢を意識して明るい気分になりそうなことは思い浮かばない。

「50になった途端に体にガタが来て、あちこち…」と言う人はとても多い。「50」とは限らない。「60」とか「70」とか「80」とか増えて行けば尚更そう言う人は多い。「30」や「40」で言う人も珍しくない。

でも、年齢の一の位が「0」になったからといって、DNAに時限爆弾が組み込まれている訳でもあるまいし、細胞レベルで特別な意味がある訳がない。

わざわざそんなことを意識して、時限爆弾の脇に縛られている人みたいに、時が経つごとにビクビクして暮らす必要は無いのだ。

忘れればいい。

以前、何年経っても「私は70歳」と言い張るクライアントがいた。5分周期のエンドレステープのように同じ話題を繰り返す彼女は、少なくとも25回は訪れている誕生日に気づいていない。お蔭で、近所に住む彼女の同級生よりは幾分若く見えた。

「えー!もう○○歳なんですか!?全然見えません!」なんて、お世辞でも嫌味でもなく他人から言われるような妖怪みたいなタイプでなければ、「歳」など忘れるに越したことは無い。
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踊りが大好きで一日中踊り続ける人のことを「踊りスケベエ」と呼ぶらしい。郡上八幡で行われる郡上おどりでのことである。こんな面白い言葉が、NHKの新日本風土記という真面目な番組に突然出て来た時には、しばらく笑い転げていた。

「町では、そんな踊り好きな人たちのことを、親しみを込めて「踊り助平」と呼ぶ。」という真面目な解説がツボにハマった。「スケベエ」は親しみやすいのか…

例えば自分は何だろう?

蕎麦スケベエ、スマホスケベエ、歴史スケベエ、ウルトラマンスケベエ、猫スケベエ、梅酒スケベエ、ケーキスケベエ、肉スケベエ、寿司スケベエ…

これは現状の自分だ。

ところで、現状の外の自分を表したらどうだろう。want toにスケベエを付けるのではなく、have toにスケベエを付けてみる。

学生ならば、
国語スケベエ、数学スケベエ、英語スケベエ、理科スケベエ…

ガリ勉はガリ勉だが、親しみやすい感じがするかも。なにしろ日本放送協会認定の親しみやすさである。

仕事スケベエ、ごみ捨てスケベエ、介護スケベエ、支払いスケベエ…

「しなければいけない」が「俺はやりたくて仕方ないんだぜ」に変わりそうな気がする。「スケベエ」の親しみやすさが、新たな自分へのハードルを超えさせてくれるような気がする。(注:個人的な感想です)

さあ、理想とする新たな自分を○○の中に入れて、自分の中で高らかに宣言しよう!

私は○○スケベエである!

最近、私は雪かきスケベエである。ほとんど毎日やっている。いくら体が疲れていても、いくら腰が痛くても、ついつい夢中になってやってしまう。

加藤茶の声が聞こえてきそうだ。「アンタもスキね〜」
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