トトガノート

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「仏教入門」(東京大学出版会版)
「七章 心」の前半を読みました。

これまで修行の実践論が述べられましたが、その主体は何なのでしょうか?修行は自己の心を浄めることと言いながら、一方では無我を説いているのは矛盾ではないか?という問題が持ち上がります。

実践の主体を心とし、六根(眼耳鼻舌身意)の意、五蘊(色受想行識)の識が同じものとされている。即ち、心=意=識。

心は、刹那ごとに生じては滅する存在、一瞬と言えども存続しない存在(刹那滅)である。生まれてから死ぬまでの間は刹那生滅を繰り返しながら、相続(意識の流れ)し、個人存在としての連続性が成り立っている。

《以下引用》
…『般若経』は第一義、究極の立場に立ってすべてをながめるので、その間に差別を見ない。もちろん『般若心経』にあるように、「色即是空」といってすべての特殊性を否定しながらも、「空即是色」とすぐにつづけて、空性に裏づけられた個別性の世界(色・受・想・行・識)を別の立場(世俗の立場、ことばの世界、仮)から承認はしている。しかし、その諸法のうちでの心と、その他の存在、つまり主観と客観の機能的相違点については、何ら言及することがなかった。

この心ともの(対象)、主観と客観との間の機能的対立性ということに目をつけて、新しい理論構築をはじめたのが、瑜伽行派の人たちであり、その唯識説であった。それは『般若経』の立場の解明を旨としたナーガールジュナ(龍樹)とその後継者たち、すなわち中観派の人びとの主張する「空」の説を受けつぎながら、それを一歩すすめ、発展させた説であった。その学説が所依の経典として求めたのが『華厳経』十地品であり、三界唯心の教えであった。唯識説は『華厳経』の唯心説の直接の後継者なのである。…
《引用終わり》

心、アーラヤ識について
《以下引用》
…われわれの存在は、過去から未来につらなる――あるいは、未来のものが現在化して次の瞬間に過去していくという動きをつづけている――意識の流れ(心相続)にほかならない。この意識の流れには、しかしもう一つ、潜在的な、表面に現われない流れがあり、それもまた表面に現われる意識の流れに影響を与えている。そうでなければ、業のはたらきを説明できない。この業をつくるはたらき「心」の機能に求め、またそれを、潜在的な形成力(種子=行=業)をたくわえる場所(貯蔵庫)に見たてて、アーラヤ〔阿黎耶、阿頼耶〕識と名づけた(alayaは蔵とか宅と訳される)。
現在機能した心は、何らかの印象を残す。それが次の刹那の心にはたらきかけるが、同時にその一部はそのまま心に貯えられて、一定の時間をへて発現することもある。…その主客いずれの印象も、アーラヤ識としての心に印象し、それが次後の心の性格を決定し、はたらきを決定する。この印象としての側面から見たとき、このはたらきを「熏習(くんじゅう)」といい、印象を「習気(じっけ)」とよぶ。…
《引用終わり》

心の「意」の側面、マナスについて
《以下引用》
…このアーラヤ識の流れ(相続、刹那滅の継起)に対し、われわれはそれがわれわれの自我だと思っている。すなわち、アーラヤ識を「我(アートマン)」と誤認している。この誤認するはたらきもまた、主観としての意識にほかならない。しかし、機能的には明らかにアーラヤ識とは別である。そこで、このはたらき「意」manasとよんだ。これが自我意識である。…自我意識は、自己の所有(=我所、わがもの)の意識のもととなるし、それはあらゆるものを自己中心に考え、そこに執着をおこす…これを我執、我所執という。それがまた業をひきおこし、結果としての苦を生み、輪廻をひきおこす。自我意識のあるかぎり、苦の滅は望めない。そういう意味でこの「意」は、「汚れたマナス」(染汚の意)とよばれる。
《引用終わり》

心の「識」の側面、対象認識について
《以下引用》
…われわれの「こころ」は潜在意識としてのアーラヤ識(=心)と、それを我と誤認する…機能としてのマナス(意)とを背後にもったうえで、対象認識(識)の機能を営んでいる。この対象認識は、…眼・耳・鼻・舌・身・意の六識にいずれかによって行われる。この機能がいわゆる主観の機能であるが、主観は客観に応じて六種に分かれるだけで、過去した場合は、いずれも意(マナス)の名でよばれる。つまり六識の別は現在だけにかかわるのである。さらに、それは善悪などの性格づけをされるが、それはその心といっしょにはたらく「心所」の機能による。そして、背景に「アーラヤ識」と「汚れたマナス」をもっている点で、善も悪も、一様に「輪廻生存」をつづける力になっている。結局、アーラヤ識→マナス→六識という立体構造をもつ心が、輪廻生存をおこす根元とされるのである。これが、「我(アートマン)」がなくても、何がどうして輪廻するのかという課題に対する最終的解答となった。
《引用終わり》

総じてわれわれの認識にのぼらないものは無いに等しい。われわれは各自が勝手に世界を構築して、そのなかで生きている。われわれが対象としている世界はわれわれの心が仮構したものであり、真実ではない。「唯識」とは「唯だ識のみである」ということで、識は「識によって知られたもの」つまり知識内容として表象の意味である。

われわれはそのような表象の世界に実在感をもち、執着をおこしているのであって、すべて「こころ」のなせるわざである。唯識説では、われわれの認識構造そのものを誤った見方と考え、「虚妄分別」と名づけている。

これによって見られ、知られた所取(識の対象)・能取(識のはたらき)の対立の世界を、仮に構築された世界と言う意味で「遍計所執性」(へんげしょしゅうしょう)と呼ぶ。

表象としての所取・能取を現わしだす虚妄分別そのものは、過去の無明、業の力で形成されたもの、縁起したものという意味で「依他起性」(えたきしょう)と呼ぶ(他に依るというのは、現在の識が過去無限の刹那の印象を受けて、その果として生起している点をいう。アーラヤ識という不変の実体があるのではない、という意味)。

虚妄分別としてはたらき、主客の世界を現出しているアーラヤ識をおいて、ほかに悟りの当体となる心があるわけはない。アーラヤ識がアーラヤ識のままであるかぎりは悟りはないが、それが別の状態になった(転依:てんね)とき、悟りが現われ、涅槃が実現する。

それは、アーラヤ識が虚妄分別としてはたらかず、主客の対立をあらわさないときである。識は能所の対立を表すのが仕事であるから、それは「識が識でなくなるとき」である。「主客が無二」とも、「識が真如と一つになる」とも言われるが、識の機能としてみれば「無分別智がはたらく」といい、「識が智に転換する(転換得智)」ともいう。

この状態は、経典に説かれる法を知り、修行を積んだあとで達成されるので、「完成された状態」という意味で、「円成実性」(えんじょうじつしょう)と呼んでいる。

遍計所執性、依他起性、円成実性を三性と呼ぶ。これは、こころのはたらき方に応じて相互に転換するものであって、決してそれぞれが別の世界ではない。

悟りの世界では無分別智が真如と一つとなってはたらき、対象を見ないと言ったが、仏はちゃんと衆生のことを知り、思いをかけ、その救済に限りないはたらきを示す。その場合、能所の区別はあり、主客による認識構造は具わっている。これを唯識説では、「無分別智の後で得られる清浄な世間智」略して「後得智」と呼ぶ。

仏の心は能所に分かれてはたらきつつ、しかも能所を見ない。

《つづく》


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「七章 心」の後半を読みました。

唯識説は迷っている凡夫の心のあり方を説明しているのに対し、どんなに迷っていても心は清らかで、仏の心と同じだという見方があります。この心を「自性清浄心」と言います。

唯識説でいう心は、狭義ではアーラヤ識だけを指しますが、広義ではマナス(意)や六識や、心に伴って現れる種々の心作用(心所法)にいたるまでが含まれます。

《以下引用》
…それに対し、この考え方によると、心と、心にともなう作用(あるいは属性というのも同じ)としての煩悩などとを切り離し、煩悩などは心の上に外からやってくる客、つまり一時的滞在者のようなものだという(客塵煩悩)。外からやってくるからといって、どこかに煩悩が実在しているわけではなく、それはもともと存在しないのだが、心がものの道理をわきまえず真理を知らないとき、つまり無知(無明)であるときに現われ出て心に付着し、心を汚す。それが凡夫における状態である。場合によっては、それは月の光をさえぎる雲にも喩えられる。雲が行き過ぎれば月はまたもとどおり皓皓と輝く。悟りというものは、ちょうどこの雲間を過ぎてふたたび光をとりもどした月のようなものである。さらに言えば、雲がおおい、光をさえぎっているように見えても、実は、月の光は前も後も少しも変わらずに光り輝いているように、迷悟にかかわらず、衆生の心もつねに輝いている。心それ自体は汚れることはない。…
…同じ変わらぬ清浄な心が、修行によって、そのことを知るか否かによって、あり方の異なっていることが教えられており、したがって修行、訓練による心の変化が要求されているが、ただ唯識説のように心自体の転換ではなく、心の状態の変化(心そのものは不変)としてとらえられている。
《引用終わり》

このような見方は阿含の教えの中にも多く見られましたが、アビダルマの仏教ではあまり関心が持たれず、大乗仏教になって急に脚光を浴びます。

《以下引用》
…『般若経』では、「自性が清浄」とは自性がないこと、つまり空という意味と解釈した。そうなると、唯識説のところで述べたように、迷うも悟るも心が要という教えと近くなる。もちろん、その教えと自性清浄心の考えとが矛盾するものではなく、両方の統一は可能であるが、『般若経』の場合は、それ以上に心の問題を掘り下げることをしなかった。…
《引用終わり》

自性清浄心の教えを出発点として学説を展開させた系統が、如来蔵思想ということになります。

《以下引用》
…自性清浄心が、全面的に無為法、真如、法界、法身という絶対的価値そのものと同一視されるようになると、煩悩の存在はますます影がうすくなって極小化される。そのあげくには、煩悩はもともと無いものだから、衆生は本来覚っている(本覚)という言い方まで出てくる。これは場合によっては修行による浄化という過程をも極小化させることにもなりかねない。また逆に、それにもかかわらず、現実にはどうしてこうも煩悩が多く、なかなか除くことができないかということを説明不可能にもさせる。実はアーラヤ識の説が生まれるについては、このような難問に対する解答という意味もあったようである。…
《引用終わり》

自性清浄心=如来蔵と、アーラヤ識とは、同じ一つの心の表と裏、楯の両面のように相反し、対立しつつも、決して切り離せません。そこで、それを同一視する考えが生まれ、それが『楞伽経』となり、『大乗起信論』で完結しました。『起信論』は、その基本を如来蔵のほうに置き、如来蔵の側面を「心真如」、アーラヤ識の方面を「心生滅」と呼んでいます。その場合でも、如来蔵の上にどうして本来ありもしない煩悩が現われるかというメカニズムは必ずしも巧みに説明されているようには見えない(そうです)。

《以下引用》
…唯識説では、如来蔵の学説は真如・法界の説明といっしょに導入され、円成実性と同一視されている。しかし、その重点は、迷悟転換の基盤としての中性的な場といった意味がつよくなり、悟りの原動力という意味あいはうすれている。そして悟りを、迷いの根元であるアーラヤ識の転換、自己否定に求めた点で、宗教的実践のうえで如来蔵思想以上の深みを示すけれども、どうしてそのような転換がおこるかについてのメカニズムについては必ずしも十分に成功しているとは見えない(術語でいうと、アーラヤ識に、それと本質上あい容れない無漏の種子が、法を聞いた余熏として生じて〔聞熏習の種子〕付着し、しだいに本体を抑え、消滅させるにいたるという)。結局、両思想は相補的に仏教の求めるもの、悟りにいたる実践の主体のあるべき姿を明かすものと言うべきであろう。…
《引用終わり》

「光は波である」という見方と「光は粒子である」という見方の両方を相補的に用いないと、光の性質を語ることができないのと同じようなことなのでしょうか…。

《つづく》

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「八章 修行者の理想像」を読みました。

アビダルマ教学確立の中で組織化された修行者の階位がいろいろあるようですが、それは本書を読んでいただくことにします。

ブッダ以来、出家の修行者の最高位は阿羅漢であり、阿羅漢になっても仏にはなれないと考えられてきました。これに対し、大乗は、万人に仏と同じ阿耨多羅三貘三菩提を得ることを究極の目的とさせ、発心したかぎりでのすべての修行者を、悟る前の仏と同じ「菩薩」と呼びました。

この菩薩の階位もいろいろあり、『般若経』では四位、『華厳経』では四十二位が並び、『梵網経』では五十二位、等々あるそうです。

ですが、大乗経典中最も強調されていることは、「菩薩はその衆生済度の誓願のあついゆえに、自ら仏となるより先に、すべての衆生を彼岸にわたそうと努める存在である」ということです。「智慧によって、生死に住せず、慈悲によって、涅槃に住せず」といわれ、生死にも涅槃にもとどまらないがゆえに、菩薩のあり方を「無住処涅槃」と称しています。これが利他に生きる菩薩の理想像です。

《以下引用》
…菩薩はすべてが行の完成者なのではない。そもそも発菩提心したのが菩薩であるから、そのままでは凡夫の菩薩であり、しかもその数は無数である。実はすべての衆生が菩薩となりうるし、菩薩とならなければならない。そこに大乗仏教の理想があるといえよう。このことは『法華経』において高らかに強調され、やがてそれが如来蔵思想を生む母胎の一つとなった。いわゆる「一乗」の教えである。
《引用終わり》

唯識説は三乗説を唱えているようなのでメモっておきます。

《以下引用》
…しかし、インドの大乗仏教の歴史を見ると、三乗説もなかなか根強い。これは先天的な種姓というよりも、行のむずかしさを主張し、行の重要性を強調するところに由来するのである。現実の人間のあり方を直視するとき、いかに執着をなくし、苦を滅し、悟りをひらき、仏となるのが困難なことか、衆生がいかに仏とは遠く隔たった存在であるかが容易に想い起こされる。それに打ち克つ行こそが仏道であると見る人びとは、三乗説にこそ真実を見出している。その代表が唯識説を説く瑜伽行派である。…
《引用終わり》

階位を設けることは、修行の道のりが遠いことを示しながらも、修行者のモチベーションを下げさせない工夫として、意味があるのかもしれません。

《つづく》


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「九章 戒律と教団の組織」を読みました。

教団のことをサンガ(僧伽)と言います。もともとは集団という意味で、同業者の組合とか共和制体の国家にも使われるとのこと。同一の目的をもって集まった人々のつくる共同体で、成員は相互に平等であり、同一の規律に服し、加盟は自由意志、集団の意思決定は成員の合議制による…そういう集団を言うそうです。沙門の組合ということですね。

生まれで所属が厳格に決まってしまうカーストとの対比の意味が含まれているのでしょう。共和制体の国をサンガというのも世襲の王がいないからでしょう。仏教には、そういう民主的な雰囲気が当初からあったということかもしれません。

《以下引用》
…受戒10年以上をへて弟子をとることをゆるされたものを「和尚」といい、また教団中にあって学業の指南役となるものを「阿闍梨」とよぶ。また、教団内で能力に応じて役割が分化するようになると「法師」「禅師」「律師」などの名称も生まれた。禅師は「瑜伽師」と同じで、禅定修行にもっぱらなる人びとである。これに対し、法師は説法師で、民衆教化を主な仕事とする。
《引用終わり》

禅師とは禅宗のお坊さんのことだとばかり思ってました。

教団の戒律があって、殺生・偸盗・婬・大妄語をしでかした場合に最も重い罪となり、教団から追放されたそうです。

でも、大乗仏教ではこういうことは無いんでしょうね…人殺しも盗人も変態も嘘つきも、みんな救いますから。

《最初から読む》

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「十章 仏教の歴史」の前半を読みました。

ブッダの入滅以後約100年間は教団組織の統一は保たれたが、拡張に伴い、意見の対立が生じ、細分化が起こった。これ以前を原始仏教、以後を部派仏教と言う。

各教団のインド各地での発展は、紀元前3世紀前後のマウリヤ王朝のインド統一と三代目アショーカ王による保護の影響もある。

クシャーナ王朝のカニシカ王(128年即位)はアショーカに劣らぬ熱心な仏教信者で、北インドを領土としガンダーラに都したが、説一切有部を保護した。

部派仏教は教義の確立という点では大きな功績を残したが、その主体は出家の修行者たちで、国王の保護のもとに安定した生活を送り、学問や修行に専念できたところから生まれた。しかし教義の煩雑化に対し、信者からの反発や出家者内部での反省が起こり、新しい宗教運動が起こった。

彼らは自らの手でその思想を表明する道具として新しい経典を編纂した。その道を万人の救済を目指す広い乗り物と言う意味で「大乗」と名づけ、在来の部派仏教を限られた出家者だけの道と言う意味で「小乗」と貶称した。

紀元前一世紀以降、『般若経』『法華経』『華厳経』等の大乗経典の中で、しだいに発展していった。教理上の特色は、「空」思想がその基本にあり、また仏の絶対視(法身)と、仏のはたらきとしての「般若」と「方便」(慈悲行)の強調とを挙げることができる。信仰の仏教としての大乗の典型的な姿は『阿弥陀経』などの浄土教に見られる。

紀元後2世紀に南インドに生まれたナーガールジュナ(龍樹)と、5世紀ころにグプタ王朝治下で活躍したヴァスバンドゥ(世親)の二人によって教理が確立され、組織化された。

ヴァスバンドゥの系統は大乗仏教の主流として栄えたが、この瑜伽行派の唯識説は心の分析を主としながら、有部の影響を強く受けてアビダルマ的傾向を持ち、煩瑣な教学に変っていった。

これに対抗して、6世紀にはナーガールジュナの思想を直接受ける中観派が台頭し、両者の間で華々しい論争が生まれるようになる。

大乗仏教の思想の流れは、このほか法華一乗の教えを発展させた『勝鬘経』『涅槃経』に見られる「如来蔵」や「仏性」の教えがあり、その組織化された論書として『宝性論』や『大乗起信論』がつくられたが、学派の系統としては主に瑜伽行派の人々の手に属していた。

大乗仏教の二学派(中観・瑜伽行)が学問仏教と化していくのと併行して、密教が台頭して、インド仏教の主流を占めるようになる。

《つづく》

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「十章 仏教の歴史」の中程を読みました。

仏教が中国に根を下ろし、飛躍的発展を遂げるのは南北朝時代に入ってから。この時期の代表的人物が鳩摩羅什(344-413)である。『法華経』をはじめとする大乗経典、ナーガールジュナの『中論』や『大智度論』など重要論典の訳を行っている。

この学説が弟子の僧肇らの手で伝えられ、それ以前の老荘的無による解釈に代わって、般若の空思想が正しく理解されるにいたった。

南北朝末期には、おびただしい数の漢訳経典の間で、いずれを最高のものと考えるか種々の基準によって優劣を決め、それによって釈尊一代の説教を統一整理して理解しようとする傾向があらわれた。これを「教相判釈」、略して教判論という。

しかしながら南北朝時代はインド仏教の輸入、消化の時代であり、真の中国独自の仏教に脱皮するのは随の時代に入ってからである。教判論の結果、隋唐時代に成立した諸宗を以下に示す。

1.三論宗
羅什の弟子が伝えた系統。教義の確立は随の吉蔵(549-623)による。

2.天台宗
第三祖智�莟(538-597)によって教学が大成した。かれは天台山で禅定体験をつみかさね、それにもとづいて止観とよぶ独自の修行体系を組織した。『法華経』を教学の中核におき、その宣布につとめた。天台の教学は三諦円融、一念三千を旗印とし、十界互具の性具説を唱えた。

3.三階教
北斉末、末法思想の流行とともに信行によって唱えられた。仏教の発展を時代によって三段階に分かつもので、第三段階は仏性思想にもとづいて万人を普敬すべしという。実践を重んじ、信徒の結社をもったため、しばしば国から弾圧されている。

4.浄土教
三階教と同じく末法相応の教えとして浄土往生を説く。北魏の曇鸞(476-542?)がヴァスバンドゥ(世親)の『浄土論』に注(『往生論註』)を書き、称名念仏を説いたのに始まる。唐に入って道綽(562-645)が『観無量寿経』にもとづく教義を確立し、その弟子善導(613-681)によって大成した。『観経疏』は善導の教説の基本。浄土教は学派というよりは広く民衆にまで及ぶ宗教運動で、その念仏の教えはその後も長く中国民衆に浸透している。

5.禅宗
北魏の時代、菩提達磨(ボーディダルマ)によって伝えられたのを初伝とするが、今日のような禅の教団の基礎は慧能(638-713)によって固められた。そのあと、江西の馬祖や湖南の石頭によって、後に臨済、曹洞、雲門、法眼、�蕃仰の五家七宗となって発展する南宗禅(洪州宗)が確立し、禅の主流になる。禅宗は教外別伝、不立文字と唱え、見性成仏をモットーとするが、これは慧能以後に確立した主張である。所依の経をもたないところにかえって独自の思想を展開し、その表現手段として、語録とか公案の類を多く残した。師嗣相承を重んずる。

6.法相宗
玄奘(602-664)の弟子基(632-682:慈恩大師)が師の教えに基づいて法相宗を組織した。宗旨は『成唯識論』を基本として学説を組織し、『倶舎論』などのアビダルマの教学も尊重した。一時は大変な盛況で他宗を凌駕したが、三乗を究竟とし、五性各別、一分不成仏の説を主張したため、一乗説に立つ天台宗などの主流から批判され、後に華厳宗が大成するにおよび、急速に力を失った。

7.華厳宗
杜順(554-640)を開祖とし、智儼(602-668)を経て、法蔵(643-712)によって学説の組織体系化が完成した。地論宗を受け、『大乗起信論』如来蔵縁起説を媒介として『華厳経』を解釈するもので、重々無尽の法界縁起と呼ばれる。衆生ひとりひとりに如来の性徳が現われるといって、これを「性起」と呼ぶ。則天武后の保護のもと、唐帝国のイデオロギーを支える世界観となって、大いに発展した。が、最後はその教学を自家薬籠のものとした禅宗のうちに吸収された。天台と並んで、中国が生んだ最高の仏教理論と言える。

8.律宗
戒律研究の諸学派の中で最も力を持ったのが道宣(596-667)の始めた南山律宗である。律宗がインド伝来の戒律を忠実に守り、それによって出家教団の制度の基本となったのに対し、その中国社会慣習との違和感から、独自の規律をつくろうとする動きが禅宗の間に生まれた。それが「清規」と呼ばれるもので、確立者は百丈懐海(720-814)である。清規の特色の第一は、作務と称して労働を重んじ、僧院の自給自足の生活を認めた点にある。インドではおよそ考えられない点である。

9.密教
善無畏(637-735)『大日経』の訳出に始まる。ついで金剛智不空によって『金剛頂経』が訳出され、当時のインド密教がそのまま輸入された。善無畏と不空の教えは、それぞれ一行恵果によって伝えられ、しだいに中国に根づきはじめたが、まだ宗派の形成にならぬうちに会昌の破仏(845)にあい、発展の芽を絶たれた。

《つづく》

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「十章 仏教の歴史」の後半を読みました。

渡来系氏族と密接な交渉のあった蘇我氏が、物部氏らの廃仏論者と争ったすえ、これに勝って、仏教が公認されるようになった。蘇我氏と縁の深かった聖徳太子が、法華・勝鬘・維摩の三経に対する注釈『三経義疏』を著したとされている。

太子の定めた方針を継承する大化の新政以後、仏教は朝鮮半島のみならず大陸からも直接伝来するようになり、留学僧の往来も頻繁となった。一方で、日本古来の宗教、習俗を守ろうとする勢力も根強く、仏教側は妥協策として「本地垂迹」の説を打ち立てた。このような神仏習合は、その後も長く日本仏教の特色となっている。

奈良時代はひたすら中国の仏教の吸収に努めた時代で、種々の学派が成立した。世に言う南都六宗である。

1.三論宗
高麗の慧観によって太子の時代に伝わった。

2.成実宗
百済の道蔵が721年に来日して『成実論』を講じたのが始まり。最終的には三論宗の付宗にとどまった。

3.法相宗・4.倶舎宗
唐に留学した道昭(629-700)が653年に伝えたのが始まり。興福寺を中心に、法隆寺、薬師寺などがその伝統を現在まで受け継いでいる。倶舎宗はその付宗。唯識説と倶舎の学を伝承して、長く仏教教学の中心となり、学問所として宗派を問わずに重んぜられた。

5.華厳宗
新羅の審祥が良弁(689-773)に迎えられて、東大寺で『華厳経』を講じたのが始まり。

6.律宗
唐の鑑真(687-763)が、五度の挫折にめげず日本に渡来し、四分律宗を伝え、戒壇を設立した。これによって初めて日本で正式な受戒儀式による僧侶の得度が可能となった。

・天台宗と真言宗
平安時代に入って、最澄(766-822)および空海(773-835)によって、唐から新しい仏教が輸入された。

・浄土思想
平安時代中期になると、比叡山の中に念仏による浄土往生の思想が盛んとなり、貴族を通じ、しだいに民衆にも浸透するようになる。地方における争乱の連続、末法到来(1052年が仏滅二千年)などから、厭離穢土・欣求浄土の願いを真剣に抱くようになったとされる。法然(1132-1212)が、往生のためには他の雑行はいらないと、専修念仏を唱え、天台宗からの独立を宣言したのが浄土宗の始まり。その弟子の親鸞(1173-1262)は、さらに行としての念仏に代わって、弥陀の慈悲によっても我々の往生が決定しているとの信に基づく報恩の念仏を強調して、浄土宗からも独立し、浄土真宗を創り上げた。両者とも中国の浄土教の教えを受け継ぐものとその宗旨の系譜を主張しているが、教団の運動としては純粋に日本発生のものである。

・禅宗の伝来
禅宗(北宗禅)は最澄によって伝えられたが、天台の禅というべき止観の法を基本としていたため、中国のように独立の教団を形成するには至らなかった。栄西(1141-1203)が二度目の渡宋で請来に成功。道元(1200-1253)は、叡山で得度し、建仁寺で学んだ後、入宋し、諸方遍歴の後、曹洞宗の系統に属する如浄の法を伝えた。彼自身は曹洞宗とも禅宗とも名のることを嫌い、仏心宗と称したが、後継者たちは曹洞宗の名で独立の教団を組織した。道元の主著『正法眼蔵』のなかで本証妙修、修証一如の綿密な行持の宗教を高揚している。

・日蓮宗
日蓮(1222-1282)も諸宗の祖師同様、初めに叡山に学び、そこで法華経をただ一つの所依とする宗旨を選び取って、独立を宣言した。『法華経』の題目を唱えることに行の基本を集約するという簡潔性が人々に受け入れられた。一方、日本の神々を仏教守護の神として尊崇するなど、民族主義的色彩も強かった。これは、浄土、念仏の諸宗が超越的宗教もしくは個人の内面性を重んじ、国家を下位に置こうとしたのと異なる。

以上、鎌倉時代に始まった諸宗は、その教義が、念仏とか禅とか法華経というように、一事に専らであること、国家の宗教としてでなく個人の宗教として出発していること、貴族以外の多数の民衆の間にその教団の基礎を置いた点などが共通する。

室町時代は南北朝の動乱を契機に、新仏教が全国へ普及した。総持寺の曹洞宗の拡張、真宗教団による一向一揆、法華宗の法華一揆などの動きがこれである。信長・秀吉の新体制によって、これら仏教教団の権力はいっさい根こそぎにされた。

俗世的権力を剥奪された仏教は、江戸幕府によって完全な管理体制下におかれ、檀家制度の下で戸籍係の役を果たさせられる。経済的には安定したものの、往年のエネルギーは失われ、新しい宗教運動を生むこともなく、明治時代を迎える。

明治維新前後、民族主義の台頭によって仏教は廃仏運動に直面したが、これをきっかけに仏教浄化の運動が起こり、多くのすぐれた僧侶が輩出して、各宗それぞれに近代的教団として脱皮し、今日に至っている。

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