トトガノート

「鍼灸治療室.トガシ」と「公文式小林教室」と「その他もろもろ」の情報を載せています。

Category:★仏教 > 「空海の夢」

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「空海の夢」(春秋社)
「1.空海の夢」を読みました。

この本の初版は1984年です。発刊後すぐに松岡正剛さんが新聞に取り上げられまして、大きなテーマを広く深く取り扱う人という感じで紹介されていました。何となく興味を持ちまして、買ったのがこの本です。

いつか読もうと思って、書棚に飾っておりました。その間、空海に関して現在のような特別な関心はありませんでした。2度の引っ越しを経て、ブックオフしてしまいました。その直後、空海という人に関心を持ちました。半生を一緒に過ごしながら全く関心を持たず、手放した瞬間に関心を持った…と書くと大袈裟ですが、他愛のない話です。

先日、第3版を書店で見つけたので、思わず買いました。帯にある引用文を引きます。
《以下引用》
…『空海の夢』という書名の意図には、当時の空海自身が見たはずの夢も含まれる。しかしここでいう夢とは、空海その人の夢のことだけをさしているわけではない。そこには、その空海自身の夢を後世の明恵や、高野山に入った西行や、空海の遺誡でめざめた叡尊や、まさに母国語の研究に熱中した高野山の契沖や、さらにはずっと後の空海研究者や現在の私や、また本書を読む読者が、ときに互いが互いの夢を見あいながら何かを織りなしあっているという、いわば空海を媒介にした相互作用の構造が立ち上がっているはずなのである。
…《引用終わり》

このブログを介して、私もその相互作用の中に加わっていけたら…と思います。

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「空海の夢」(春秋社)
「2.東洋は動いている」を読みました。

《以下引用》
…もともと中国への文化文物の流入は、シルクロード型と南海型と北方ステップロードによる草原型の三種のコースによっていた。これをシルクロード型の一本にみてしまうのは、やがてそれが朝鮮半島を経て日本に入ってきたことに照らしあわせても、たいへんに日本文化とアジア文化の橋梁を狭いものにしかねない。密教にもそういう最低三方向の広がりを想定しておく必要がある。たとえば密教の基底にうかがえるシャーマニズムの要素にも、やはり北方系と南方系の混在が認められるのだ。
…空海密教の原点となった『大日経』や『金剛頂教』のふるさとは西南インド地方である。そこはブッダが生まれた北インドとはちがっていた。そのちがいはあるいは最終的な密教の独立にあずかって何かの力を発揮したかもしれない。
…《引用終わり》

純密とは言うけれど、いろいろな要素が入っているはず。それは、日本人を単一民族と言っていたけれど、実は四方から民族の流入があってかなりあって、DNAにいろんな要素が含まれているのと似ているかもしれません。

空海の時代も、それ以前の時代も、我々が想像する以上に交流は活発だったようです。

鍼灸について書いてあるので、ノートしておきます。

《以下引用》
…たとえば一般に漢方医学といわれている中国医療には、いわゆる針灸医学と湯液医学と本草医学の三種類があるが、これらはそれぞれ黄河流域圏、揚子江の江南流域圏、江准の西方の山地帯の三地方に別々に発生し発達したものだった。
針灸医学が黄河地方に発達した理由は、ここに定着した民族が気候の激変するステップ地帯を越えてきた遊牧民だったことによる。かれらは厚い毛皮を着てそのままの姿でつねに100キロや1000キロの移動をくりかえした。いきおい医療面においても頭部や四肢などの露出部のみを対象とした工夫が発達した。おそらくはするどい石器や骨器によって頭部や四肢の露出部を点的に刺戟して痛みをとりのぞいたのだろう。これに反して高温多湿の江南では、豊富に密生している草や木に頼る薬物の湯液が発達した。
…《引用終わり》

学校で習いましたので、懐かしいです。

鍼灸のツボには五兪穴という特別なツボがありますが、すべて肘から先、膝から下に存在しています。体幹部(腰とか内臓とか)の治療を行う際にも手先足先への施術だけで済ませようという意図が感じられます。耳ツボとか足ツボは、この論法を真似たのかどうか、施術は耳もしくは足裏だけで事足りるという理論です。科学的根拠(エビデンス)があるのかどうか…。

ツボそのものでさえ疑わしいのですから、五兪穴とか耳ツボとか足ツボとかの理論はかなり強引だと言わざるを得ません。

話が空海からそれてしまいました…。

《つづく》

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「空海の夢」(春秋社)
「3.生命の海」を読みました。

《以下引用》
…仏教の要訣は、せんじつめればいかに意識をコントロールできるかという点にかかっている。生命は進化して意識をもった。長いあいだの時の流れが必要ではあったが、結局のところそれによってふたつの世界が見えてきた。

ひとつは「梵」に代表されるマクロコスモスである。もうひとつは「我」に代表されるミクロコスモスである。仏教直前までの努力によって、この両者の統一こそを意識がはたすであろうという予想が確立された。これがおおざっぱにはヒンドゥイズムの「梵我一如」の構想である。…

続く仏教は、それにしてもその「我」が問題だと考えた。「我」を認めたうえで「梵」との合一をはかる困難よりも――なぜならばそのためには苦行が必要だと考えられていたからでもあるが、「我」そのものを発想してしまう意識の中の特異点をとりはずせないものかと考えた。そこで仏教者たちは、なぜ「我」というものが意識の中にこびりついてしまったのか、まずその原因の除去からとりかかることにした。業(カルマ)というも、四諦八正道というも、およそはそのことである。そこで、日頃の生活意識を変えてしまわないかぎり、「我」はとりのぞけないと考えた。物欲や性欲や他者をなじる生活態度そのものに「我」が芽生えるのであることをつきとめた。

しかし、社会にいて「我」をとりのぞくのはなかなか困難なことだったはずである。「我」は生物界から離脱した人間が牙と毛皮のかわりにみがきあげた武器である。その武器を放棄するのは社会的生活の失敗を意味していた。社会生活の只中でいっさいの「我」の原因にあたる言動を廃止するのが困難ならば、そこから脱出するしかないだろう。かれらは超俗をはたし、ここに家を出奔するという様式が確立する。出家である。
…《引用終わり》

なるほど、そんな捉え方もあるかな…という感じです。

出家は釈尊登場以前から、つまり仏教以前からインドにあった風習ですから、出家は修行に没頭するためにしたんだと思いますけどね…。仏教が確立してからは上記のような理由で出家した人もいたでしょうが。

同様にちょっと気になる点は他にもありますが、まあ、この捉え方で論を進めるとどうなるのか、非常に興味深いです。

《つづく》

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「4.意識の進化」を読みました。

この章は、生物の進化について書かれています。意識の発生とか言語の発生までの進化の歴史がサラッと。声が言語に及ぼす影響などを後述するための布石のようです。

《以下引用》
…大脳生理学の研究によって、これまで左脳に管理されているとばかりおもわれていた言語記憶が、実は両脳にホロニックな散華のごとくにばらまかれていて、それがある種のイヴォケーター(evocator喚起子)によって一挙に再生されるのではないかという仮説になってきた。つまり、言語記憶の再生は、ローカル(局所的)ではなくノンローカル(非局所的)なものの連動的な協同現象なのではないかということである。ところが、イヴォケーターによって一気呵成に再生がされるとはいっても、そこにはひとつの条件が付加される。それは、かつてその言語が発現された場所を想定しなければならないという条件である。…
つまり、言語記憶の再生は大脳の皮質の上ではノンローカルでありながら、その再生のためにはあえてローカルな場所を外部に設定して、それを脳のどこかに想定したほうが有効だったことになる。つまり言語記憶とその再生にはつねに「場面」が必要だったのである。
…《引用終わり》

言語記憶は、記録されるときにバラバラに記録されるため、再生するときは多少違った形になってしまう、という大脳生理学の仮説があるとのこと。

記憶が変質してしまうということは経験的によくあることです。それが元で仏説の解釈に違いが出てきて解釈分派闘争が勃発したということなのですが…。

仏教を論ずるのに、大脳生理学にまで行ってメカニズムを論ずることもないと思うのですが…。これも後述する章の布石のようなので、後を楽しみに致しましょう。

《つづく》

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「5.言語の一族」を読みました。

空海の血筋については『空海の風景』でも触れてあります。

《以下引用》
…まず、サヘキは奇妙な言葉をつかう服属部族だったということである。…次にサヘキには「連」と「直」があって、一方は中央につき他方は地方に散ったということになっている。…一般に中央から派遣された征服者が地方の部族を征圧する場合、古代では武力についで言語力が重要だった。アーリア人のインド進出にも言語の侵犯がともなっている。とりわけ日本では、その部族の全容をそのまま服属させてしまうには、武力よりも言語力、すなわちコトの力というものが最大の服属関係をもたらした。
…「騒々しくうるさい連中」という意味よりも、「特殊な言語力をもった連中だ」といったニュアンスであったろう。おそらく祝詞や呪詞の記憶力がすぐれていたり、その言葉の秘める力に富んでいたりしたのではなかったろうか。
…一握りのサヘキの指導者はそのまま中央に連れて帰られる。これが「連」である。地方に転属させられる多くのサヘキには各地の直接管理がまかされる。「直」であった。
《引用終わり》

微妙な言い回しをうまく使いこなせるだけで、世渡りはうまくできると思います。まして、当時は方言が乱立していたでしょうから、角が立たないように通訳ができたら、国家の運営には非常に重宝したでしょう。

クレオパトラも美人だったかはともかく、多くの言語を巧みに話せたようで、カエサルもそこに魅了されたのではないかと思われます。

空海が渡唐して、ネイティブ以上の文才を発揮し、密教はおろかその他の文化まで唐で習得し、サンスクリット語まで習っていたらしいことを考えれば、並々ならぬ言語力があったことは間違いありません。それが、サヘキの血だったということでしょうか。

《つづく》


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「6.遊山慕仙」を読みました。

《以下引用》
…空海というコスモポリタンを見るには、鼻をくっつけてタオイズムの残香をかぐ必要がある。日本宗教史上、また日本思想史上、空海の『三教指帰』こそはタオイズムの本質を論じた最初の大成果であったからである。

…ともかくも空海は虚亡隠士にはなりきらず、そのかわりタオの要所をかっさらった。しかしここで興味深いことは、空海のように神仙タオイストの道を捨てることなく山にとどまり、なおかつ空海の死後に空海の密教を受け入れた一群の者たちが陸続とあらわれたということだ。空海の密教がひとり高野山に伝法を守る真言教者たちのみによって守られたのではなく、こうした奇怪な一群によって流布され伝承されたという意味で、この山林に跳梁する者たちの来歴の一端をここに記しておきたい。かれらの名を、のちに山伏という。

…古代山伏が特殊な時間と特殊な情報と特殊な交通を、異次元的なネットワークで匿秘していたことはひじょうに重要だ。
《引用終わり》

神仙タオイズムの詳しい意味や、山伏については本書をご覧ください。空海はこの異次元世界をしっかりと踏まえた上で、仏教をそして渡海を決意したようです。

《以下引用》
…奈良時代を通じた日本の山嶽山中における山伏たちの活躍は、さらにすさまじい開発技術者としての姿を見せていたにちがいない。

しかも山に伏す者とはいえ、そこには神仙および陰陽のタオイズムはもとより、各種の雑密や民間呪術、神祇の呪禁がほとんど区別なく習合集中していたのだから、これは古代における開発技術と観念技術の一大陰秘ネットワークの担い手ともいいうる者たちだったのである。かれらは土地を熟知し、その山相水脈を読む古代観相学者であって、また鉱物や薬草の分析に長じた古代化学者でもあった。のちに即身仏(ミイラ)の信仰を各地にもたらすのもかれらであり、聖山巡礼の構想を実現するのもかれらであった。

南都仏教の衰微を眼のあたりにしていた青年空海が、こうしたいまだ全貌の見えざる陰秘のネットワークに強烈に吸引されたとしてもけっして不思議ではなかった。ヤマは魔の山であり、かつまた聖の山であったのである。
《引用終わり》

山には、そういった裏社会が形成されていたようで、その思想・文化・技術といったものが歴史の表舞台に出てきていないのは残念です。後に義経の逃亡を手助けしたのもこのネットワークだと思われます。

私の住む地域でも、法印さまと呼ばれる方が居て、祈祷をお願いしたりします(神社の神主さんとかにお願いすることもありますが)。羽黒山辺りで修行されたようで、お経とも違う呪文を唱えていたように記憶しています。

《つづく》

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「7.密教の独立」を読みました。

《以下引用》
…私は密教の特質はエントレインメント(entrainment)にあると考えている。この言葉は従来の科学では「飛沫同伴」などと訳されていて、沸騰によって生じた飛沫状液滴が蒸気にともなわれて出現する現象などに狭くつかわれているのだが、のちにものべるようにもっと生命論的現象や文化論的現象に広くつかわれてよい概念である。異なるリズムが同期する、あるいは、多様なリズムが協調振動をおこすといった意味である。

そこで密教潮流にもエントレインメントをつかうとすると、密教は密教正史のようなものをもったというのではなく、むしろ多様な随伴現象や協調振動によって形成されたとみるべきだということになる。それぞれが「引きこみあい」をおこしたのだ。これをオリジナリティが乏しいというふうに解釈してはいけない。いくつかの密教意識の流れがあるとして、それぞれの水が引きこみあいをおこすのである。そしてそのたびに密教的性格が深秘されていく。そういうことなのだ。一連のエントレインメントが投了すると、そこからは密教の独壇場となる。
…《引用終わり》

一応、理学部卒ですが、エントレインメントという言葉は知りませんでした。広く使われるべき概念だというのは賛成です。

そして、三世紀からの仏教の歴史が書いてありますが、これは本書を見てのお楽しみ。

《以下引用》…
六世紀に入ると密教擡頭の足音はかなり強くなってくる。ヨーガの道場もふえてくる。いわば最後の雑密時代であろうか。

体制のほうは、西ローマ帝国滅亡の余波によるインド経済の破綻と匈奴系エフタルの連続的侵入によってグプタ王朝の中央集権制が崩壊し、群小王朝期に突入する。社会文化の黄金期が衰退した混乱の時代、いいかえれば異民族異文化の脅威のほうが強くなりはじめた時期に密教の擡頭があるということは、インド密教のみならず中国や日本の密教、さらには今後の密教文化の動向を考える上にもひとつの符牒をかざすものである。

とくにインドでは、異民族エフタルの王トーラマーナが中央インドにどっかりと腰を降ろしてそこを占領してしまったように、六世紀以降はめまぐるしく外患内憂の政治状態がずっと続いた。その混乱の中で、造壇の結印の技巧がしだいに錬磨され、本尊を短い梵字で表示する種字のアイデアや本尊を持ち物によって代行させる三昧耶形(サマーヤ)のアイデアが用意されていた。

こうして七世紀の「密教の独立」が成就する。先にものべたように七世紀は『大日経』と『金剛頂経』が成立する時期であった。
《引用終わり》

空海は久米寺の東塔で『大日経』を読み衝撃を受け、松岡氏も図書館で『大日経』を見ていっぺんでその衝撃の意味が分かったようなのですが…私も早く仲間に入りたいな。

《以下引用》…
八世紀以降、インド密教は、いやインド仏教の全体が金剛乗の怒涛の過流の中に巻きこまれていく。「密教の独立」がそのままの様式を詳細に発展させるのは、むしろ中国や日本においてであった。空海が密教の法燈を継いだと言われるゆえんである。

なぜにまたインドにおいて密教が成就できなかったのかということは、なぜにまた日本において密教が成就してしまったのかという謎につながる。それはまた空海の思想の謎にほかならない。
《引用終わり》

その謎がこれから解き明かされていく…?

《つづく》

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「8.陰と陽」を読みました。

《以下引用》
…このころ(『聾瞽指帰』を書いたころ)の空海は出家の決断のために儒教・道教を排してはいるものの、とくに道教的隠逸思想については世間の名利を遠ざけ一人神仙の道を求めるものとしてかなりの評価を与えている。それでも青年空海は道教を捨て、仏教に入る決断をする。空海の道教批判を一点に絞れば、そこには自他救済の慈悲が説かれていないということだろう。逆にいえば、それ以外の面では、空海はひそかにタオイズムに憧れていたということになる。

忘れてならないのは、この出家宣言ともいうべき『聾瞽指帰』の段階では、空海はまだ密教の本体を知ってはいなかったという点である。

仮名乞児の説く仏法はむしろ仏教一般の特色に近かった。やがて七年後、長安に二年を遊学するうちに空海は密教構想の何たるかを知った。しかもそれは不空一行の呪術的色彩の濃い密教と、恵果の示す内観性の強い密教とであった。空海はそのいずれものエッセンスを踏襲し再編成をくわだてる。すなわち空海は出家のためにいったん方士や道士の思想を捨てたのではあったが、その後に密教の裡にその共鳴内在する音を聞きあて、巧みにみずからの真言密教の体系にこれを取捨選択するにおよんだとも考えられるのだ。

空海がタオイズムから取捨選択したものとは、いわば「観念技術」であった。
…《引用終わり》

観念技術とは…

《以下引用》…
モノとは「霊(もの)」であって「物(もの)」であり、コトとは「言(こと)」であって「事(こと)」である。上代日本語のモノとコトは観念と言葉と事物および現象を分別しなかった。分別しないことによってトータルな世界観を維持できた。…このことはさらにモノとモノ、コトとコトの類感共鳴の呪術的波及を可能にしてしまう。…そうしたなかに大陸や半島から天文遁甲や方術が導入されてきたのである。その導入は仏教よりも早かった。これを日本では一般に陰陽道あるいは陰陽五行思想と言ってきたが、私はアジア的性格をこめてあえて「陰陽タオイズム」と呼ぶことにしたい。すでにのべたように神仙タオイズムとの差を特徴づけるためでもある。
《引用終わり》

ダジャレみたいなもの?

《以下引用》…
やがて仏教が導入されて朝廷にもこの余波がおよぶと、聖徳太子に顕著にみられるような儒・仏・道の習合が促進する。表立った体系は仏教により、倫理は儒教により、裏の縫目は陰陽タオイズムの糸によるという方法だ。
《引用終わり》

日本人が、和洋折衷とかチャンポンとか得意なのは、この辺りからの伝統なのですね。親父ギャグもかな。

《以下引用》…
すなわち、大学在学中に求聞持法などの雑密パワーを知ってこれに投じようとした空海は、いったん山林優婆塞の仲間入りをしたのちに、ふたたび密教に向かったのである。そういうコースを選んだのではないかということだ。…空海が山林に修行したことは疑いを入れないし、その著作の随所にひそむ言葉づかいから、あきらかにタオイズムの洗礼をどこかで受けていたことだけは確実であった。空海は陰陽タオイストにも神仙タオイストにもならなかったが、後日、密教タオイストとしての性格を発揮する人であったのだ。
《引用終わり》

空海の親父ギャグ、聞きたいな…。

《つづく》

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「9.仮名乞児の反逆」を読みました。

《以下引用》
…延歴16年(797)、空海24歳。レーゼ・ドラマ『聾瞽指帰』(『三教指帰』)を綴った。すでに阿波大滝嶽によじのぼり、土州室戸崎に勤念をしたと記す空海だった。

戯曲仕立ての『聾瞽指帰』は五段の構成になっていた。亀毛先生論、虚亡隠士論、仮名乞児論、観無常賦、生死海賦の三論二賦である。これは寡黙の青年の内側に巣くっていた仮名乞児が沙門空海として現実化するための思想劇である。これまでの諸見にたいするすべての反駁は、ここに一挙に爆発し、また結晶した。阿刀大足や岡田牛養や味酒浄成らには儒教としての亀毛先生論を、ただ神仙に遊ぼうとした青年たちには道教論としての虚亡隠士論を、そして大安寺や東大寺の僧たちと我と我身の佐伯真魚に対しては、仏教論としての仮名乞児論が突きつけられた。

空海は序文に書いた、「ただ憤懣の逸気にそそぐ」と。

やむにやまれぬ気持ちをここにぶちまけたという意味である。そういえば、かつて『史記』の著者がやはり「憤懣を舒ぶ」と自序に記したものだった。
…《引用終わり》

レーゼ・ドラマとは、演じられることを目的とせず読まれることだけを目的とした戯曲のことだそうです。これは空海のこれからの人生を方向づけた決意表明です。それをそのままストレートに書かず戯曲形式にするというのも洒落てます。

この決意は、遣唐使船に乗って死ぬ思いをしてもぶれませんでした。長安にてサロンの人気者になり、才能を生かして大活躍したにもかかわらず、ぶれませんでした。

《つづく》

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「空海の夢」(春秋社)
「10.方法叙説」を読みました。

一度は大学に入った空海です。当時の受験勉強はほぼ暗記力だけが問われたようです。空海は厖大な漢籍を頭に入れていました。『聾瞽指帰』にそれがうかがえるそうです。

《以下引用》
…福永光司さんの空海に迫る分析によると、『三教指帰』の四六駢儷文のことごとくが中国の古典の用例にもとづいて、空海の恣意的な造語はほとんどないといってよいほどだったというのである。…

空海が他の追随を許さないほどの「集めて一つに大成する綜合力」(福永光司)に長けていたことは、空海研究者の誰しもが認めている。私の言葉でいえば、これはエディトリアル・オーケストレーションの妙、すなわち編集構成力というものだ。…
《引用終わり》

私も高校のころ、ウルトラセブンの中のセリフだけで会話をするという遊びを友達としたことがありますが、かなりレベルが違いますね。

編集構成力を空海はどこで身につけたか?ということですが、まず鄭玄の名が挙がっています。詳しくは本書参照ですが、総合的折衷学と比較的方法論に長けた後漢の学者で、『三教指帰』では「北海の湛智」と賞揚されているとのこと。

『後漢書』に、名高い学者の馬融を鄭玄がやり込めてしまい、「吾が道、東せり」と馬融が嘆じたという故事があるそうです。恵果は空海に「我が道、東せん」と言ったそうで、空海は恵果を馬融に自分を鄭玄になぞらえていたとも考えられるそうです。

《以下引用》
…やはり鄭玄の立場は儒教にどっぷりつかっていた。「仏教には鄭玄はいないものか」とおもったことだろう。もし、そうおもったとすればそれは空海の編集思想の感覚の作動を意味している。編集の出発はAに見出したきらめきを異なるBにも見出したいと願うことにある。そこが学問とは異なっている。Aをそのまま突っこんではしまわない。きらめきを多様の中に求めようとする。青年は“仏教の鄭玄”を探したいとおもうことによって、すでに総合的編集思想の第一歩を踏み出していたはずなのだ。…

けれども“仏教の鄭玄”は南都にはいなかった。それははからずものちに空海自身がはたすことになる。そのかわり、「儒教から仏教へ」などというまさに青年の幻想でしかないと一蹴されそうな構想を、現実にもう少しで確立しかかったところで倒れた一人の思索者がいた。青年はその大いなる人の名を何度も聞いたことだろう。淡海真人三船である。…
《引用終わり》

三船の文章の中に次の一節があるそうです。
「六合のうち老荘は存して談ぜず。三才のうち周孔は論じていまだ尽きず。文繁、視聴に窮まり、心行、名言に滞る。三性の間を識るなく、誰か四諦の理を弁せん…」(『大日本仏教全書』)
「老荘思想にはすぐれた感覚があるものの、太虚の考え方はたんなる否定にとどまっていて実在に達していない。儒教は天地の三才を論じるけれど、その根源をきわめない。いずれの認識にも限界がある。三性四諦を説く仏教にこそ今後の可能性があるのではないか。」

奈良時代にも儒仏習合の気運は高まっており、吉備真備が「二教院」という私塾を創ったりしているそうです。この理想は、空海の綜藝種智院に受け継がれているようだ、とのこと。

松岡正剛さんがこの著書と一緒に新聞で紹介されていたのが、まさにこの編集の方法論についてだったと記憶しています。この本の主題が、空海の中に編集者としての姿を見出すことであるとしたら、松岡さん自身が御自分を空海になぞらえているとも考えられます。

《つづく》

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