トトガノート

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学校ネットの小学生手書き漢字ドリルというアプリを使ってみました。

漢字検定対策で使いたかったのですが、小学3年生レベルのが無かったので、こちらを使うことにしました。

漢検用のアプリもそうですが、棒が一本足りなかったりしてもOKになる場合があるので問題もあるのですが、楽しんでやっております。↓


こちらは学校ネットさんで作成した動画↓

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娘たちに「国語の勉強になるアプリある?」と尋ねたら、即座に答えたのがこれでした。謝る言葉がバラバラになっているので、順番通りタップしていかなければいけません。国語の勉強になる…かな。

app-livの記事はこちら。

L教材の200番まで終わりました。

『蘇軾』も高校の漢文で習ったような気がします。教材に引用してある「赤壁懐古」だったような…。当時は三国志を知っていたかどうかも定かでありません。それほどに冷めた気持ちで授業を受けていたようです。

私にとっては「三国志」と言えば、NHKの人形劇です。


諸葛孔明や劉備玄徳も、周瑜や孫堅も、浮かぶイメージは川本喜八郎さんの人形です。

最近では、映画「レッドクリフ」があります。


問題を解いている間、頭の中ではレッドクリフのテーマが繰り返し流れていました。

『蘇軾』に戻りますと、この時代(宋代)は詩経的楽観を回復しているとのこと。

『李商隠』は記憶にありません。ただ、「国の大事より、恋人の方が大切」というような色艶があって、こういう詩の方がいいですね。

時代は晩唐ですから、宋代から前後してます。

これまでの詩人は、たいてい科挙を受けていて、運良く官吏になった場合でも勢力争いに巻き込まれて左遷され、不遇の中、年老いて髪が抜けることを嘆くというパターンが多かったような気がします。科挙を受けているので儒教の世界からも抜け切れていない。

晩唐に至ると、この儒教的な雰囲気が官僚の中でも変化してきていたようで、政治的な風向きの変化が李商隠の詩の中にも感じられる…というようなことが解説に書いてあります。私もそう感じます。

これまで恋人のことを、こんなに熱く詠った人は居なかったように思います。日本の古典文学に近いものを感じます。

【グラス片手に大人の公文】国語〔L-200〕

L教材の180番まで終わりました。

『韓愈』は柳宗元と並び称されて韓柳(かんりゅう)と呼ばれたとのこと。ちなみに今流行ってるのは韓流。柳宗元は直喩が多いのに対して、韓愈は隠喩が多いそうです。

馬を使う名人のことを伯楽と言い、「ばくろう」の語源になったというのも勉強になりました。私の父の世代くらいですと「ばくろう」という言葉はよく使います。

また、韓愈は四六駢儷体を排したとのこと。日本の空海とほぼ同時代(空海が6歳ほど若い)を生きています。空海が若い頃に書いた『三教指帰』「・・・四六駢儷文のことごとくが中国の古典の用例にもとづいて、空海の恣意的な造語はほとんどないといってよいほど・・・」だったそうです。四六駢儷体とは形式ばかりにとらわれた装飾過剰で殆ど中味が無い文章。それを嫌った中国の韓愈と、それを積み木遊びのように積み上げて自分の文章を作り上げた日本の空海。面白い好対照だと思います。

『白居易』は髪が抜けることを気にしています。杜甫もそうです。学生の頃は分かりませんでしたが、この歳になると気持ちがよくわかります。

「売炭翁」の話は、ツルゲーネフとか魯迅の作品と似ています。庶民の窮状を訴え皇帝を遠回しに諭すのが主旨(諷諭詩というらしい)なので、事情が同じなのですね。

柳宗元と同様、韓愈と並び称されて韓白と言われているそうです。ただ、白居易は平易流暢な文章なので中国でも日本でも圧倒的にポピュラーです。教材に引用されている詩は、『平家物語』『枕草子』香炉峰の雪)にも出てきます。

【グラス片手に大人の公文】国語〔L-180〕

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L教材の160番まで終わりました。

『杜甫』は「国破れて山河在り…」の人です。

当時の中国の知識人は、科挙を受けて官職に就き、政治の世界で活躍することを志しました。しかし合格できない場合は、時の有力者からの推薦してもらうしかありません。そこで、有力者に詩を贈るというのが流行っていたようです。杜甫もそういう人の一人でした。

しかし、低い官職には就くことができたものの、青雲の志を満足するような職に恵まれることはなく、安史の乱に巻き込まれ家族とも離れ離れの生活をおくったりします。そんな境遇を嘆いている詩が多いようです。

ただ、そんな苦労をしたから歴史に残る詩を作ることができたと言うこともできます。生前の栄誉と後世の栄誉と、選べるとしたらどちらを選んだことでしょうか。

『柳宗元』は学生時代に読んだかどうかわかりません。

この人は科挙に21歳で合格した秀才。順調に出世しますが、権力争いに敗れて永州に左遷されます。この永州はとんでもない僻地でしたが、自然が素晴らしい。この自然の美しさを文章で記述しています。

形式が自由な古文で書かれていて、美しい風景を詩的に表すというよりは、大きさを数字で表したりして地形をそのまま書いています。現代の観光ガイドに近い文章です。

客観的な描写ばかりかと思っていたら、哲学的な思索も書かれています。創造主たる天はあるやなしや。

このように美しい自然を国家の中心に創らずに、その有難味も分からないような蛮族が住む辺境の地に創るのは、天が存在するならば辻褄が合わない…というような思考パターンです。

哲学的水準は低いですね。

【グラス片手に大人の公文】国語〔L-160〕

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L教材の140番まで終わりました。

『世説新語』という書名は全く習った記憶が無いのですが、王昭君の悲しい運命とか、竹林の七賢人とかは頭にあるので、きっと習ったのでしょう。

儒教がしっかりと定着した社会の中で、それを皮肉ったりパロディのように扱ったりというのは文化が成熟したということだと思います。一番最初の引用文、「馬を問わず」で返す話はなかなか面白いと思いました。

儒教が余り好きではないので、この『世説新語』は気に入りました。

『李白』は「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る」。これだけはしっかり覚えていました。でも、漢字が並んでいるのを目でなぞった記憶だけで、天にまで届くような長江をいつまでも眺めているイメージはやはり残っていません。漢文として勉強しただけであって、漢詩を鑑賞していたわけではないようです。

漢文と言えば返り点などが重視されていたようで、どこからか持ってきた一文を「書き下し文にせよ」という設問がたくさん並んでいるイメージがあります。公文式の場合は逆で、今回の教材では再読文字を書き下す問題がありますが最小限に抑えられていて、解釈・鑑賞が重視されているのが分かります。

古文の時もそうでしたが、現代国語で漢詩の鑑賞文を読んでいる形です。面白い構成だと思います。

【グラス片手に大人の公文】国語〔L-140〕

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L教材の120番まで終わりました。

『戦国策』は前漢の時代にまとめられたもので、前漢の前の戦国時代のことが書かれています。いくつもの国がある中で、その間の外交交渉を担う「説客(ぜいかく)」という人たちがいました。彼らが使った弁論術、詭弁や巧みな比喩や寓話が、一国の命運を救っていくところは実に痛快です。

「蛇足」「漁夫の利」「先づ隗より始めよ」の一節が教材では引用されています。いずれも以前習ったものですし、故事成語として今まで何度も使いましたし、寓話の内容もだいたい覚えているのですが、戦国時代の外交交渉で使われていた点だけはすっかり忘れていました。

それだけ、寓話が面白いということだと思います。

『陶淵明』の「桃花源記」「飲酒」「五柳先生」などは確かに高校で習いました。「五柳先生」を「ゴリラ先生」と呼んで喜んでいた記憶があります。「桃花源記」は、不思議な国に迷い込むところや風刺がきいているところなど、「ガリバー旅行記」に似てます。

「飲酒」の「ここに真の意あり、弁ぜんと欲してすでに言を忘る」は、『荘子』の「真の弁説は理論を振り回さないものであり、言論が分析的になればなるほど真実というものは把握できない」という考え方をベースにしているとのこと。とってもいい解説文を引用して下さっています。

呂律が回らないほど酔っぱらって、困ったものですね…という意味だとばかり思っていました。

【グラス片手に大人の公文】国語〔L-120〕

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L教材の100番まで終わりました。

『淮南子』は、淮河(わいが)南方の淮南(わいなん)の王劉安(漢の高祖劉邦の孫)が編纂させた書物ですが、「えなんじ」と読むそうです。中央において儒家による思想統一の動きが強まっていたので、この地方には道家の学者が多く集まっていました。そんなわけで、この書も道家を中心とした諸家の学説を含む百科全書的性格の書に仕上がっているとのこと。

秦代には荀子や韓非子が重用されて、反儒教的雰囲気でしたが、漢になってまた儒教が復権してきたようです。

内容に統一性とか関連性はないようですが、いろいろな短い話が書いてあって面白いです。一番有名なのは「塞翁が馬」ですね。

『史記』は改めて読み返してみますと、司馬遷の描写のうまさを感じます。引用部分は、項羽と劉邦の所です。「鴻門の会」と「四面楚歌」。学生時代に確かに習ったことを覚えているので、それだけ内容が面白かったということだと思います。

一人の人間として項羽と劉邦を比較したときに、項羽の方が圧倒的に能力は上なわけです。「鴻門の会」では劉邦の命を助けてやったと言えなくもない。それなのに劉邦は楚と漢の和睦協定を破っているわけで、あまり好きにはなれません。一方、項羽は人格的な欠陥があったとはいえ、悲しい結末は判官贔屓を誘います。

【グラス片手に大人の公文】国語〔L-100〕

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L教材の80番まで終わりました。

『荀子』は、諸子百家の集大成を為したと言われるだけあって、思想として緻密な感じがします。これに比べると、孔子・孟子の理論はスカスカな感じがして、後世何故あれほどメジャーになったのかがよく分かりません。スカスカな部分を好きなように肉付けする余地があったから多用されたのでしょうか?

論語では学の必要性を何度も訴えていますが、性善説ベースで説明されるよりも、『荀子』のように性悪説ベースで語られた方が説得力があります。

引用文の中で、「文る」を「かざる」と読んでいるところがあり、「文」を装飾の意味に解釈しているところがあります。私は今まで、文系理系というように、「文」と「理」を対極に置くことに納得できなくていたのですが、これでスッキリしました。一つの事実をより興味深い物語に飾っていくのが文系であり、そういった装飾をどんどん取り除いて本質だけを見究めようとするのが理系だということなのだと思います。

「青は藍より出でて藍より青し」の出典は『荀子』だったのですね。

そして、「矛盾」の出典が『韓非子』です。矛と盾を売り込む商人の話だとばかり思っていたのですが、本題は儒家に対する痛烈な批判だったのですね。

古代シナの論理思想は『荀子』において頂点となり、これに『韓非子』が矛盾律を加えることで完成したという解説文が引用されています。

両者の論理性の高さに比べると、孔孟の論理性の低さは歴然としており、何故「論語」などという名前なのかと不思議に思うほどです。

【グラス片手に大人の公文】国語〔L-080〕

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