トトガノート

「鍼灸治療室.トガシ」と「公文式小林教室」と「その他もろもろ」の情報を載せています。

Category:★公文式小林教室 > くもん日記

ブログネタ
★くもん・公文・KUMON★ に参加中!
興味を持ってる生徒さんがおられたので、入手しました。教室に置いておきます(^-^)/




本をつまんでる手は次女です。



親指も登場。



足は私(父)です。



内容に関係ないコメントばかりですみません。内容が気になる方は教室でご覧になるか、買って下さい(笑)。

購入はこちらで

◆◆◆公文式小林教室◆山形県東根市◆◆◆

ブログネタ
★くもん・公文・KUMON★ に参加中!
教室の小学生の男の子から教えてもらいました。勉強になるかな〜
個人的には「本能寺の変」が一番面白かったかな…

本能寺の変


関ヶ原の戦い


島原の乱


ペリー来航


◆◆◆公文式小林教室◆山形県東根市◆◆◆

娘が宿題をしていると思ったら、こんなマンガを描いておりました。御覧下さい(笑)

公文で学習しているみほちゃんとお友達のみこちゃん。夏休みが楽しみでルンルン♪
ところが休み前の授業で月例テスト…
01


みほちゃんは平気な顔ですが、みこちゃんはあせってる様子…
02


みほ:うん、うん、わかる。
先生:書けなかった子はいるかしら?おさらいをして2学期を迎えよう!
みこ:おさらいできないようーん。
03


みこちゃんのおうちでは、みこちゃんが扇風機にあたりながら…
みこ:「あー、夏休みにおさらいしなきゃー」
そこに公文からのお手紙が届いたようです。
みこ:「へぇー、すごいEペンシルがもらえるんだ。欲しいなー。みこ試したい!」
※Eペンシルはもらえません。体験期間中は無償貸与致します。入会後は6300円で購入いただきますが、公文で発生する教材費はこれのみです。
04


みこ(前ページ):しかも、国語や算数も、自分がいいところからできるの!これならできそう。
みこ:公文なら本当に楽しそう!でも、できるかな…
05


おためし問題は、きょうやったところだあ!
スラスラできてたのしいなー。もうできちゃった。みほちゃんみたいになるんだもん!これならできそう!ママに言ってみる!
※自分(みほちゃん)のことをこんなふうに書いているのは、親としてこっぱずかしいです(笑)
06


母:ただいまー
みこ:あ、おかあさんだ。ママ―、おかえり。
母:暑くなってきたわねー
みこ:あのね…
母:ん?
みこ:わたし公文やりたい。
母:え?
07


みこ:この前の授業でわからないところがあったの。
母:じゃあ、先生が届けてくれるものをやる?
みこ:えっ?届けてもらうんじゃなくて、その逆で、先生といっしょにお勉強したいの!お願い!ねーねーこれ見て!自分でできたよ。
08


母:偉いじゃない、ひとりでできるなんて。
みこ:うん。公文なら夏休み楽しくできると思ったの。
母:本当にできる?
09


みこ:くもんに行った時にいっぱいやるから。宿題ももらう。
母:じゃあ、やらせてあげる。がんばるのよ。
10


公文に行く日(月木に行く!)
くもんにいくよねー。はーい!
※小林教室の学習日は原則毎週月木ですが、金曜に予備日を設けたりしております。御都合のある方は御相談下さい。
11


教室を見学した後…
みこ:楽しくやっているので、入会させて下さい。
先生:はい、わかりました。バッグをあげます。
※入会すると、バッグを差し上げます。3種類の中からひとつ選ぶことができます。
12


【Facebookページ】http://www.facebook.com/kumon.kobayashi
【google+ページ】
https://plus.google.com/b/107893980259054159402/107893980259054159402/posts
【場所】山形県東根市小林1-4-11 アネックス東根A-101
七兵衛そばさんの北側、ケーズデンキパワフル館さんの東側)

名作をマンガにした文庫本のシリーズを、水道橋博士がラジオで推薦しているのを聴いて、買ってみることにしました。

くもんのすいせん図書にもなっている「変身」と「罪と罰」。

実は、今流行りのマンガって結構苦手で、「ワンピース」とか、かえって疲れてしまうんですが、これは夢中になって一気に読めました。

最近の子どもは忙しいです。だから、大人同様、じっくり読む本は選びたい。でも、読んで中味が分からなければ選べない…というジレンマがあるわけです。

「意味が分かる年ごろになってから、しっかり読めばいい」という考え方もあるかもしれませんが、それは何歳なのか?世界の名作の凄さが分かる歳って何歳なんでしょうか?ひょっとしたら、一生そのレベルには達しないかもしれません。分からなくてもいいから読んでみよう、という姿勢で臨むしかないのです。

「マンガではダメだ。本物でなければ」という考え方もあるでしょう。でも、世界の名作全集を全部読破することって可能でしょうか?どこぞの文学部を目指すのであれば別ですが、そうでない人が教養として読んでおきたいというときに、難解な長文に取り組まなければいけない必然性ってあるんでしょうか?

児童書の世界の名作シリーズってありますね。同じ「ああ無情」が、なんでこんなにボリュームに差があるんだろうと、子どものころ不思議に思ったことがあります。本物でなければダメなのなら、児童書版を読むのも意味が無いことになります。

そもそも本物でなければならないのなら、日本語で読んでる場合じゃない。英文学は英語で、仏文学はフランス語で、独文学はドイツ語で、ロシア文学はロシア語で読まなければいけないはず。

児童書版を読んで、大人向けと同じものを読んだつもりでいた時期もあったのですが、マンガならばそんなふうに錯覚する恐れもありません。自分のなかで引っかかるものがあれば、いつかは長文に挑戦してみたいと思うはず。そういう名作だけを読めばいい、そんなふうに思います。

「絵がちょっとコワイ」という感想もありましたが、ストーリーの深刻さを伝えるにはこのくらいでいいかもしれません。

ドコモがiコンシェルを始めたとき、キャラクターとして羊の執事が登場しました。その時、「羊が人間を喰い殺している」というトマス・モアの言葉を思い出しました。なぜなら、ケータイが既存の仕事を食い殺し始めていると思い続けていたから。

最初は当然固定電話だったでしょう。ケータイはもともとは電話でしたから。「ケータイ持ってるから、固定電話は契約してないんだ」という人は、私がケータイを持ち始めるずっと前から出現していました。

腕時計や目覚まし時計、カメラ、電卓、テレビ、地図、カーナビ、メーラーやブラウザとしてのパソコン…と、ケータイが機能を拡充していくにつれて他の物が売れなくなっていきました。

若者がケータイにお金をつぎこむようになったから、カラオケ店の売り上げも減ったし、車も売れなくなったという話も聞かれました。

スマホになってアプリなどのソフト面がかなり充実してきましたから、新聞、書籍、CD、レンタルビデオ、ゲームなども食われ始めています。アマゾンや楽天なども専用のアプリを提供して利用しやすくなっていますから、既に様々な小売業が食われているはず。ケータイの支払いが増えたから、親からのお小遣いも減額されているとのこと。

先日、教育雑誌を見ていましたら、今の子どもの65%は今現在存在しない業種に就くだろうと書いてありました。私もそのくらいは行くだろうと思っています。

ダーウィンが言ったとされる「最後に生き残るのは変化できる者」という言葉が想い起こされます。私が会社を辞めた理由のひとつに、自分なりのビジネスモデルを模索してみたいというのがあったということを、改めて思い出したところです。

これまで存在していた業種に就くのであれば、先輩というお手本があります。模範解答どおりの問題の解き方を身につける勉強法でいいかもしれません。しかしながら、新たな業種に就くとしたら、自分でビジネスモデルを創造して、市場を開拓していかなければなりません。前例のないこと挑戦していく冒険家精神が必要になります。自分で目標設定して、自分で必要な文献を読みあさり、自分で考え行動する人間にならなければいけません。手前味噌ながら、それが自学自習の精神ということになります。

人生ゲームがまた流行っているようです。このゲーム、逆説的で示唆に富んでいるような気がします。人生のようなゲーム、それが楽しいのであれば人生も楽しいはず。ならば、ゲームなんかしなくても人生は楽しいはず。

「ゲームばかりしていて全然勉強しないんです。」というのは、よくある親の悩み。ゲームの達人と言われる少年が、お友達にゲームのワザを教えている光景を見たことがあります。攻略法をいろいろ知っていて、とても複雑な説明をしていました。その知識の量は素晴らしい。さらに、腕も素晴らしいわけですから、技術の習得に費やした時間も膨大でしょう。

この努力、勉強とか仕事と何が違うのだろう。

最近では、ゲーミフィケーション(Gamification)ということで、日常の仕事のプロセスにポイントとかメダルとかを付けることによって、仕事をゲームのようにし、モチベーション・アップを図っている企業もあるらしいです。私は「そんなことしてまで、仕事してもらわなくてもいい!」と言いたくなる世代なんですが、時代遅れなのでしょうか?

うちの教室でも、勉強を頑張った人には飴や景品をあげたりします。公文全体としては、オブジェとかをあげたりします。これもゲーミフィケーションの一種と言えるでしょう。

これらは、仕事や勉強にゲームの要素を取り入れた例ですが、逆にゲームに勉強の要素を取り入れたものがあります。「ケミストリークエスト」です。開発者は小学生で、社長にもなっています。まさに、人生ゲームのようですね。

人生をゲームのように、ゲームを人生のように。

このように意図的にやっているのはいいとして、私たちは無意識に逆のことをしていないんでしょうか?つまり、私たちは知らず知らずのうちにゲームをやりたがるようにしむけている(演出している)のではないのでしょうか?勉強をやりたがらないように演出しているのではないでしょうか?

勉強を嫌なものにしているものとして今思いつくのは、ちゃんとしなければいけないという潔癖さ(完成度を求めること)、義務感と強制、「あなたのために言っているのよ!」という押しつけがましさ、などなど。

そこに気づけば、格別ゲーミフィケーションを意識しなくても、仕事・勉強・人生を、ゲームのように楽しいものとして演出することができるのかもしれません。

自他共に認める「虫とり名人」が、教室にいます。末はファーブルかダーウィンか…という感じです。そんな彼がダーウィンが来た!(2013/2/24放送分)の話をしてくれました。

「リスみたいな小さな動物がね、お酒が湧いてくる木が森にあって、そこで毎日お酒飲んでるんだって!」
「???そんな木があるんなら、うちの庭に一本欲しいね…」

と言いながら、余りにも奇想天外な話なので何か勘違いしているに違いないと思い、HPで調べてみました。そしたら、確かにその通り…HPでも「奇想天外なストーリー」と書いてました。

疑ってゴメンナサイ!

また聞きのまた聞きなので、本当のところはよくわかりません。実際とは全く異なるのかもしれませんが、ある事例として…

ある小学校の先生が言っていたそうなのですが、授業をしているときに、ある子どもが「あっ、これ公文でやったことがあるから分かる!簡単だよ!」と言って授業を妨害するから困るとのこと。「だから公文には行かせない方がいいのだ」とまで言っているらしい。

まず、公文の立場からすれば、学年を越えた学習をすることが自学自習を身につけるために重要だという考えですから、この子の学習は少なくともある程度は成功していると言えます。授業の進度よりも先に進んでいて、それが簡単だと感じるくらいまで理解できているということですから。

問題は、「これは難しいからやっても無駄だ」とか言って他の生徒のやる気を無くさせているのならともかく、「簡単だ」と言っていることが授業妨害になるのか?

私が小学生の頃、体育が得意な男の子がいまして、授業でやろうとすることが何でもうまくできてしまうので、いつも模範演技をする役でした。中学生の頃は、ピアノが得意な女の子がいまして、授業でも先生の代わりに弾くこともありました。私は憧れのような気持ちを持ったし、本人たちも気持ちが良かったことでしょう。

私の娘たちは、当然二人とも公文をしています。学年を越えていますから、授業は簡単だと感じるようです。娘たちの先生は、「分かる人は分からない人に教えてあげよう!」という指導をしているので、娘には教える手間が省けるし、自分が教えてあげなければいけない生徒も減るので重宝していると言って下さっています。娘たちも、先生の役に立てて嬉しいようです。

ですから、授業の内容が既に分かっている子どもが授業の邪魔になるというのは、ちょっと考えられないのです。もし本当なら、失礼ながら先生のスキル不足ではないかと思うのです。

そして、理由はどうあれ、「公文はダメだ」というのは、列記とした営業妨害です。授業妨害よりも罪は重いはずです。このような先生は実在しないと信じたいです。

ブログネタ
★くもん・公文・KUMON★ に参加中!
少年を乗せて、私は車を走らせていた。前方には夕日。少年が言った。
「北極の夕日はね、横に沈むんだよ」
意味が分からない。私は返事に窮した。
「白夜とか、ずっと夜も明るい時があるらしいから、きっと夕日を違った見え方をするんだろうね」

少年は小学一年生。彼が宇宙に興味があることを、先日の天体ショーの時に知った。それからというもの、彼は地球の自転とか、太陽と地球の関係とか、おそらくはお父さんかお母さんかお兄ちゃんから仕入れたばかりの知識を、私に話してくれる。

彼は地上の常識が通用しない宇宙というワンダーランドに魅せられているようだ。私は、またひとつ、彼に不思議の種を蒔いてみることにした。

「アインシュタインて、知ってる?」
「あー、何かガリレオとか載ってる本に載ってた。」

「彼は、時間の進み方が場所によって違うってことを計算だけで発見したんだよ。光の速さくらいスピードを出してる宇宙船の中は時間の進み方がゆっくりになるんだって。」
「へー。」

今度会った時、彼が何の話をしてくるか、楽しみである。その日まで、私は、北極の夕日を見ておくことにした。北極に行かなくとも見られるのは、とても便利である。

【ビデオ】夕日を眺めて10時間―北極圏の壮観な光景

(2012/7/20記)
◆◆◆公文式小林教室◆◆◆

ブログネタ
★くもん・公文・KUMON★ に参加中!
先日、ある公文式の講習で、興味深いプリントを頂きました。算数で、早く習うことと後で習うことの関連を図示したものでした。

例えば、36+5=41 という足し算も、九九の6の段を習った後であれば、「36は六六、それに6よりも小さい5を足しているわけだから六七42よりも小さい数になるはず」というような、別の視点が出来てきます。

筆算の足し算・引き算は、桁の少ないシンプルな足し算・引き算の組み合わせ。

筆算の掛け算は、桁の少ないシンプルな掛け算と、筆算の足し算の組み合わせ。

筆算の割り算は、筆算の掛け算と、筆算の引き算の組み合わせ。

これが、算数で出てくる整数や小数の四則演算です。で、私は理系でしたし、算数も出来が悪いわけでも無かったのですが、計算は遅いし、余り好きではありませんでした。スピードを求められる公文式なら、間違いなく能力の低い子に分類されたと思います。

分数に出会ったとき、「二階建てのややこしい数字が出てきた」とは私は思いませんでした。「これで割り算しなくて良くなる!」と喜んだのです。

分数を使えば、例えば「5÷3は?」と聞かれても、割り切れるとか割り切れないとか余りはいくつとか全然気にしないで二階建てにすればいいのです。「こいつはいいや!」と思いました。

「能力の低い子は先に進ませる」という指導法が公文式の中にはありますが、割り算の能力が低い私にとって、分数に進むことはむしろハードルが低くなることだったのです。

でも、やはり分数の四則混合演算になると、またまた面倒になってきます。最終的には二階建ての分数で済ませられるとしても、いくつも連なっている場合には通分して一つにしなければいけませんし、約分して既約分数にする必要があります。

やはり算数は面倒だ…と思っている私の前に現われたのが文字式でした。文字式に出会ったときの私の第一印象は「これ計算しなくていいじゃないか!」でした。「こいつはいいや!」。

それからというもの、日常的な計算をする場合でも、「○○をaとおいて××をbとおいて・・・」と文字式を立て、式を簡単にしてから実際の数値を代入して計算しています。

式の展開とか因数分解とか出てきましたが、これは余り不快には感じませんでした。これが数学の計算力なのだと思います。少なくとも私の中では、算数の計算と数学の計算は全く別物であり、前者は不快なもの、後者は快いものという歴然とした違いがあります。好みで分けるのもどうかと思いますが(^_^;)

ともかく、算数の計算力の低い私にとって、文字式の登場はまたしてもハードルが低くなることでした。

さて、そんな私が中学で、図形の証明問題に出会いました。これは、パズルみたいで楽しかったです。三角形の合同とか、相似とか、根拠を書いて、「ゆえに…」とやるのは、「犯人はお前だ!」みたいな痛快さ(例えが悪いか?)があって大好きでした。

でも、一方で解析幾何も習いました。そうすると、図形の証明なんてのは雲散霧消してしまいました。座標軸をあてはめれば、つまり三角形ならば3つの頂点の座標を比べれば、合同も相似もすぐに分かります。どことどこが平行か?とか探さなくとも良くなります。

「公文は計算しかしない」という批判があります。私はよく意味が分かりません。珠算塾ならば、あるいは算数の計算しかしないということがあるかもしれません。でも、公文式にはあてはまらないような気がします。

図形の証明問題も多くはありませんが、公文の教材の中にあるはずです。しかし解析幾何が登場すれば、数学の計算力で事足りるものです。それに、そもそも公文式は大学受験に照準を当てていますから、一時的に高校受験の時に必要になる図形の証明問題は最小限に留めているのは、むしろ気が利いていると私は思います。

一方、関数の式からグラフを図示させる問題は結構多くあります。数式を見て図形がイメージできれば、図形も計算力でカバーできます。というより、すべて数式の計算でカバーするのが数学だと私は捉えています。

↑このページのトップヘ