今回、次女が進学する学校の都合で、郵便局に行った。

処理を待っている間、お婆さんがやってきた。彼女は窓口の順番を待つために、紙片を取らなければいけないことを知らなかった。更には、彼女はその紙片に番号が書いてあること、彼女の順番はその番号によって知らされること、彼女の番号を呼ぶのは目の前のお姉さんではなく機械の合成音であることを知らないようだった。

おかげで、私はお婆さんの肩を叩き「順番が来たので、あの窓口へどうぞ!」と言う機会を与えられた。

「俺は何ていい奴なんだ。」と自分で自分を褒めていると、今度は杖をついたお婆さんが娘さんとおぼしき人に付き添われて入ってきた。私は、自分が一番窓口に近い席、もし優先席を設けるならこの椅子になるだろうと思われる席に座っていることに気がついた。

「ここ、どうぞ。」と言って、席を譲る機会も与えられた。

親切をすると気分がいい、ということに改めて気がついた。ホモサピエンスがこんなに繁栄できたのは、利他心を持っていたからではないかという説を本で読んだばかりだった。ネアンデルタール人とかと生存を争っていた頃に、自分の仲間を助けることにささやかな喜びを感じる遺伝子を獲得し、それが優位に働いたのではないかという仮説だ。

親切は御礼を言われたいからではない。「俺は何ていい奴なんだ。」と思うと気持ちいいからだ。確か、オキシトシンが出ると言われている。オキシトシンは健康にも良い。

「情けは人の為ならず」ということだね。