助産師をされているクライアントから話を聞いた。

彼女自身は一年ほど前に出産を経験している。それまで何回も出産を見て来て、自分の番を楽しみにしていたという。

ある人は絶叫し、それまで穏やかだった人も全く違う人間になってしまう…それほど強い痛みとはどんなものなのだろう?と。

しかし、いざ経験してみると、それほどでなかった。もちろんそれまで経験したことない痛みではあったが、想像していたよりもずっと楽だった。

彼女のこれまでの観察によると、本などを読んでしっかり勉強している頭のいい人ほどいろいろ考えてしまい、痛みをより強く辛く感じてしまうし、お産も長引いてしまう傾向があるという。

彼女は「頭のいい人」と言ったが、そうなるとお産が楽だった彼女は「頭のよくない人」ということになる。しかし、彼女こそ頭のいい人だと私は常々思っていた。これまでの話からも分かるように、彼女の周囲を見る眼差しは静かで分析的である。

更に彼女は分析している。お産が楽に済む人の特徴は、「もう、痛いものはしょうがない。ジタバタしても仕方がない」と諦め、覚悟を決めて、ポジティブに痛みに向き合っていること。

彼女自身のお産が楽だった理由もこれだと思うし、「頭のいい人」というのはこれができなかった人だと思う。

この話で思い出すのは、ストレスの体への害を無くしてしまうホルモンDHEAのことである。覚悟を決めて、ポジティブに向かい合う人は、強烈な痛みのストレスの中で大量のDHEAを分泌しているに違いない。

で、当然のことながら、お産に限らず、他の痛みについても言えると思う。触察してみた時の感触で同程度の傷み具合と思われる場合でも、ひどく痛みを訴えるクライアントとそうでないクライアントがいるのである。前者は少しでも痛いと「痛い痛い」と言い続け、「歩けない」「眠れない」と言う。後者は「そりゃ痛いけど、騒いだって楽になるわけじゃないし」と諦め、それを忘れるための何かに没頭しようとしたりしている。

もちろん、「痛みを我慢しろ!」と言いたいのではない。

「痛みは感情である」という心理学者もいるらしい。同じ状況でも、怒る人もいれば怒らない人もいる。笑う人もいれば笑わない人もいる。泣く人もいれば泣かない人もいる。当然、怒るよりは怒らない方が良い。笑わないよりは笑った方が良い。泣くよりは泣かない方が良い。

痛みも同じだということだ。