最近の次女のお気に入りの3冊。



「パパ!神様はね、その人が背負えるくらいの重さの荷物しか与えないんだって!だから、大変なことになっても、頑張れば絶対大丈夫なんだよ!」

あんた、仏教徒だろ!俺を励ましてるのか?俺が大変なの知ってんのか?それ結構昔から言い古されてる…とか、いろいろツッコミどころはあったんだけど…「良いこと言うね!」と取りあえず褒めておいた。
「感動したんだよ。この本に書いてあったの。ん?これだったかな。いや、こっちかな。んー、このうちのどれか(^^)v」

義足を付けた姿が本の表紙を飾るなんて考えられない…そんな雰囲気が今まではあった。でも、思い切りジャンプしている少女の写真を初めて見た時、私は素直に「カッコイイ!」と思った。

英語ではhandicappedと言う。でも、誤解を恐れずに言えば、advantageなんじゃないかと思うくらいに、カッコイイ。可哀そうだとか、気の毒だとかいう感情は、少し考えてから生じた。

もちろん、この本の主人公たちも、最初は「荷物」だっただろうし「handicapped」だっただろう。でも考え方を変えて頑張ることで、「荷物」は「荷物」じゃなくなるし、「handicapped」は「handicapped」じゃなくなるし、「可哀そう」を「カッコイイ」に変えることができる。そして、それは本人たちの感動となり、本となり、さらに多くの感動を生む。

最近では、重い物を持つ時に腰に装着する装置(装具?ロボット?)も開発されている。今の基準で言うところの健常者でも、将来は日常的に何かを体に装着する時代が来るだろう。義手、義足というものに対する見方も変わっていくだろう。というより、こういった本が次々出版されるようになってきたのは、まさにその変化の端緒に違いない。

そんなことをいろいろ考えたが、こんな話を次女にすると、すぐあくびをして寝てしまう。さて、何て言おうか…。

「君の前に今立ちはだかる壁は何だ?」
「んー、何かな…。」

「神様は、君が大したことできない奴だと思ってるみたいだな。もっと、頑張りなさい!」
と話を結んだが…

次女の読後の感動を台無しにしてしまったような気がしてならない。