長女が公文国際学園に入った。最初に断っておくが、妻が公文の先生をしているから無理に娘を説得したわけではない。100%、娘の意志だ。

あれは、地元にある中高一貫校の説明会から帰って来てのことだった。
「公文の中高一貫校っていうのもあったよね?そこに私が入りたいって言ったら入れるの?」と聞かれた。
「入りたいと言っただけじゃあ入れないけど、勉強頑張れば入れるかもしれないよ。」と答えた。
「じゃあ、頑張ってみる。」と言って、「公文国際学園に絶対合格する!」と書いた紙を机の脇に貼った。
こちらは「入れるもんなら入ってみなさい。まあ、せいぜい頑張れや。そうやって頭に入ったモノは、どこの学校に行っても役に立つから。」と思って、見ていた。

合格発表を見て驚いたのは、親の方だった。

入学はさせたものの勝手がわからず、こちらもドタバタしていたので5月の体育祭にも行けず、連絡事項の確認の仕方なども最近ようやく分かってきた。7月1日のクラス懇親会に顔を出して、やっと何とか公文生の保護者の市民権を得たような気分だ。

懇親会の自己紹介でも話したのだけれど、地元山形の人に「娘さんはどこの中学に通ってるんですか?」と聞かれて「横浜の公文の学校です。」と答えると、かなり取り乱す。「えっ?」「何で?」あるいは「…(絶句)」。病院か少年院とでも言われたようなリアクション。全くの想定外なのである。

そして、「大変な決断をされましたね。」とか「娘さんがよく『うん』と言いましたね。」とか「とっても寂しいでしょうね。」とか言われる。しかし、どれも肯定できない。大きな決断をしたという実感が無いし、娘の方から『うん』と言っていたのだし、寂しくもないのだ。

全く寂しくないと言えば勿論嘘になる。いなくてせいせいした、とは思っていないから、どちらかと言えば寂しいかな…というくらいのもの。だって、昔とは違うから。スマホがあり、LINEがあり、かけ放題があり…こっちにいる時よりコミュニケーションは増えたような気がする。

目の前にいれば「何してんの!」とか「早くしなさい!」とか、ネガティブな事ばかり言っていたに違いない。「頑張れよ!」なんて温かい言葉をかけているかどうか。それに、娘も父親を毛嫌いする年頃の筈だ。その兆候が無いうちに遠く離れたことは幸いだったかもしれない。スマホも加齢臭を伝えることは流石にできまい。

今回土産に持って行った一本杉のあげまんじゅうを寮の娘の部屋にいたお友達に配った。そのお友達の一人が言う。「虚数って何?」

娘が首を傾げたので、その質問は私に回ってきた。寮の高校生の先輩から問題を出されたらしい。分からないので答えを教えてもらったがそれでも分からない。私の説明は、先輩の説明より少しだけ分かりやすいと言ってもらった。しかし、ここは、まんじゅうをかじりながら、こんな話をする場所なんだと驚いた。

虚数を理解して嬉しくなって、後輩をからかう。からかわれた後輩は分からなくて悔しくて誰彼構わず尋ねる。凄く自然な、勉強へのモチベーションだ。

帰国子女は珍しくない。保護者には金髪の人も華僑の人も。中学時代からこんなにいろいろな学友に恵まれていたら、大人になってからよその国と行き違いが生じても、絶対に仲良くする手立てを考える筈だ。絶対に銃口を向けようなんて思わないはずだ。そう考えたら、とても嬉しくなってきた。

だから、山形の人も、是非ここを子どもの進路の一つとして考えて欲しい。全くの想定外では、子どもの可能性が狭まってしまうから。寮が完備している学校って、地方の人に門戸を開いているとも言えるじゃないか。

もちろん、山形の学校がダメだと言ってるんじゃない。子どもに選択肢を提示する時に、メニューの片隅に、この学校があっても良いんじゃないか?ということだ。

もっとも、私の娘は親が差し出したメニューに無いものを見つけ出し、オーダーしたのだけれど。