バイリンガルになるということ、それは頭の中で考える言葉が日本語と英語になるということ。その時の場面でどちらかの言語が選ばれて、頭の中でつぶやかれる状態。この時、日本語の人格と英語の人格は別人格になるという。

最初は突拍子もないことのように思ったが、苫米地作品を読んでいるうちに理解できるようになった。

英語の特徴は、言いたいことがセンテンスの最初で分かること、「誰」が「何」をという部分が明確に効率よく表現できることだと思う。だから、私のように英語力はまだまだの人間であっても、英語で考えようとしてみると思考の細かい所がしっかり決まっていくのを感じることができる。

そして、更に重要なのは、頭の中でつぶやく言葉というのはセルフトークであり、マインドセットにつながるものであり、その人の性格を左右するものである。ここまで考えれば、英語人格は別人格と言うのは突飛でも誇張でもない当然のことだと分かる。

外国語を学ぶということは、親という最大のドリームキラーの影響を排除するという大きな意味があるのではないだろうか。そう考えると、外国の人と話をするためとかいう学習の動機はとてもちっぽけなものに思えてくる。

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