ある日、秋葉さんの家の前を通りかかると、提灯が下がっていた。「御霊燈」と書いてある。まさか、と思ったが、三日後に次回の予約が入っている。ちょうど息子さんが立っていたので、車を止めて聞いてみた。

「すみません。どなたか、亡くなったんですか?」

「はい。父が…」と息子さん。

「急に?先週伺った時は元気でしたが…」と尋ねると、
「自分で」と息子さんが答えた。

「え?」私は信じられずに聞き返した。息子さんは首を抑えて見せた。たまらない、という表情だった。

「皆に世話になった、と書いてありました。あなたのことも書いてありましたよ。」
その後のことはよく覚えていない。どんな表情をして、どんな言葉をかけて、その場を立ち去ったかを。

数日後に告別式があった。秋葉さんの遺影は軍服を着ていた。

遺族席には若い人もいた。家族は独身の息子さんだけと思っていたが、娘さんもいて立派なお孫さんも何人かいるようだった。この人たちが、時折、秋葉さんの家を訪れ、賑やかな一時もあったのだろうと想像できることが救いだった。

私は、式の間じゅう、軍服の遺影を見つめながら、「若い者に苦労をかけるな…」と言った彼の気持ちを考えていた。

亡くなった戦友も何人かいたことだろう。そいつの分も代わりに生きてやる、と思ったりもしたことだろう。そいつらの代わりに自分もこの国の復興の力になる、と気負ったりもしたかもしれない。

この世代の人たちには、他人の世話になってはいけないという考え方がある。老いていく我が身に苛立ちを募らせる中、周囲から差し出される救いの手も彼にとってはつらいものだったのかもしれない。

彼は侍だったのだ。

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