*** She had the clawhand. ***

池田さんは前もって日付を決めて予約するということは無かったが、平均すると週に1〜2度のペースで呼んで下さった。

前出の柴田さんの時がそうであったように、信市郎さんの治療効果に関してはスエさんの観察にかかっていた。普段、「痛い」と言わなくなったとか、動作が痛そうでなくなったとか。そして、スエさんは良くなっているようだと言って下さった。

信市郎さんを施術している最中はスエさんはずっと脇で見ていた。信市郎さんは耳が遠いので、「ここは痛いですか?」といった問いかけを私がすると、スエさんが信市郎さんの耳元で叫んで伝えるという方法で診察は行われた。

何回か通うなかで少しずつ分かったことだが、この夫婦は二人ともこの辺りで生まれ、結婚し、北の方に引っ越して暮らしていたらしい。北海道だったか、青森だったか、その辺は定かではない。ただ、かなり広い土地を所有し、養豚業を営んでいた。

「何百匹もの豚を私が独りで育てたんだよ!お父さんは何も手伝わないで、私から話を聞いて、飼育の方法をいろんなところに教えに行ってたの。本まで書いたんだよ。全部自分がやったみたいに。」とスエさんは話してくれた。本もパラパラっと見せてくれた。結構分厚くて、表やグラフもあり、きちんとした数値データが盛り込まれている本のようだった。

しかし、その土地に何やら大きな施設が建設されることになり、かなりの金額を受け取る代わりに立ち退くことになった。

そのお金の一部で、今住んでいる家を買った。アパートも建てた。鎌倉に住む息子さん一家がこちらに帰ってきた時に住む場所も土地だけは購入済み。

食事は朝ごはんだけスエさんが料理するけれども、昼と夜は近くの食堂に毎日頼んであった。昼は寿司、夜は定食ものと決めてあるようだった。

毎食作らないのは、お金に困っていないということだけではなく、スエさんの左手が不自由だったということも有ると思う。

彼女の左手は鷲手だった。尺骨神経麻痺が原因で起こる、独特な手の形である。教科書で見たような典型的な形をしていた。

「豚、何百匹も独りで育てたからね…」と、スエさんは左手を見つめながら言った。

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