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「空海とヨガ密教」(Gakken) 第5章「初期真言教団の実態」(p154〜174)を読みました。

ここは、私的に「そうなのだろうな〜」という内容があったので、メモっておきます。

〔以下引用(p161)〕
この真言密教を現在の真言宗の僧侶の修行だと思ってはいけない。今の僧侶の修行は、家としてのお寺を継ぐためのもので、厳しくすると後継者がいなくなってしまうから、基準は低く設定され、行法は易しいものに限定されている。こう言うと、今でも厳しいと反論する人もいるだろうが、昔ほど厳しくないし、振るい落としがない。ある期間修行すれば、それでよろしいと言われる。これならば最澄からも不満が出なかっただろうし、最澄が唐で順暁から学んだ真言密教はその程度の水準であった。要するに、形式的なものであった。最澄はそれの延長だと思っている。つまりは知識(とはいっても頭脳だけ)の集積を期待している。この時代の僧侶は、膨大な経典を暗記しているので、経典の記憶力だけを問題にすれば他人にひけはとらない。だから自信があった。しかし、本物の真言密教の修得には二つの問題点があった。「語学力」(外国語の力)と「体操技術」である。
〔引用おわり〕

これは「真言密教」という言葉にそのまんま、空海のこだわりが表われています。

「真言」とは「サンスクリット語で」ということになります。「密教」とは「筆授できないこと」であり「体得しなければいけないこと」。

「真言密教はインド語でいうと「マントラ・ヨーガ」である」(p162)とあり、ヨーガのポーズを決めてマントラを唱えるのであれば、今日のヨーガと形の上では全く同じになります。

司馬遼太郎の『空海の風景』では、最澄の攻撃的な部分は余り語られていなかったような気がしますが、この本では描かれています。

〔以下引用(p161)〕
最澄はこの年(813年)の九月、『依憑天台宗』を書いた。すべての仏典の上に天台の教説があるというもので、法華一乗を強調したものであった。その中で「耳を尊びて、目を賤しむるは漢人の嘆くところ」と書いた。これが空海の真言密教に対するあてつけになった。「文章に書いてないことを口で言って、これが密教の極意だなどというのは、中国大陸で軽蔑されていることだ」という意味である。三年後に書いた序文では「新来の真言家は筆授の相承を泯ず」と書いた。つまり、「新米の真言家は文章に残して伝えることを軽蔑する」と言っている。
〔引用おわり〕

少なくとも、長安の人々が空海を軽蔑するというのは有り得ないですね。