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「空海とヨガ密教」(Gakken) 第3章「インド神秘主義の系譜」(p86〜129)を読みました。

密教とは「言葉では表せない教え」という意味なわけですが、それは極めて神秘的な内容だからだと思っていました。ですが、この本の指摘のように単に「言葉では表せない教え」だとすれば、私のこれまでの捉え方がかなり違ったものになることに気づきました。

今日では、日本で密教と言えば大乗仏教と考えますが、そもそも何の縛りもなく、単に「言葉では表せない教え(タントラ)」だったというのです。小乗仏教にも、ヒンドゥー教にも、ヨガにも顕教と密教がある。

密教の定義が難しいことは以前読んだ本にも書いてありましたし、「密」もいろいろあることも書いてありました

以下は私が思ったことです↓↓↓

さらに拡大すれば(していいのか分からないが)、書道にも、絵にも、音楽にも、スポーツにも、言葉で表せる部分(顕教)と表せない部分(密教)がある。つまり、密教とはインストラクターから直接教わらなければ分からない内容、という解釈。

だから、空海は絶対に渡海しなければいけなかったということにもなります。いろんなインストラクターがいる長安に絶対に行かなければいけなかった。インド僧から直接教わることも特別重要なことだったわけです。

以前引用した司馬遼太郎の文章が、今までと少し違った意味に見えてきました。
《以下引用》
…インドにおいては、その後の人類が持ったほとんどの思想が、空海のこの当時までに出そろってしまっているが、それらの思想は、当然、言語に拠った。厳密に整理され、きびしく法則化されてきたサンスクリット語によって多くの思想群が維持され、発展してきたが、空海がすでに日本において学びつくした釈迦の教えやそれをささえているインド固有の論理学や認識学も、さらに蘊奥を知るには中国語訳だけでなくこの言語に拠らねばならない、ということは、インド僧だけがそういうのでなく、インド的体温のまだ冷めないこの時代の唐の仏教界では中国僧もそう思っていたにちがいない。
《引用終わり》

そう考えると、結果からみれば恵果に会うことが最初からの目的だったように思えるのですが、実は、恵果から習ったことが帰国後には一番役に立ったというだけのことなのではないか?そもそも、恵果に会うことは優先順位の低いことだったのではないか?

密教の空海に比べれば、顕教をやっていた最澄は渡海する必要は必ずしも無かった。顕教だから「直接の教授は弟子が受けるから免除だけ私にも頂戴!」という発想も出てくるわけだし、これに、空海が激怒したのは当たり前

私は今、ヨーガを動画サイトでやっているわけで、本だけを見てやっていたのとはだいぶ違うことに気づく毎日です。それでも直接インストラクターからは習っているわけではないので、ヨーガの密教部分には殆ど触れていないのかもしれません。

私も、御大師様からバカヤロウと言われますね(笑)。