ブログネタ
悟りへの道 に参加中!
『仏教と現代物理学』(自照社出版)「第四章 縁起―無明の業」(p237〜280)を読みました。

『般若心経』の「無無明亦無無明尽 乃至無老死亦無老死尽」についての解説です。一休さんの『般若心経提唱』での該当箇所を引用します。

《以下引用(p238)》
これは十二因縁を空ずるなり。
十二因縁というは、一つには無明なり。これは本心・本性を明らめずして、道理に暗きを以て、迷いを起こすをいうなり。一切の煩悩の根元は、無明より始まるなり。
二つには行なり。これは無明の心が起こりしより、一切善悪の業を作るをいうなり。
三つには識なり。これは妄想・妄念を以て、父母に愛着の念を起して、初めて母の胎内に宿るをいうなり。
四つには名色なり。胎内に宿りて、目口鼻手足などのかたちが出来て、受想行識の四蘊の備わるをいうなり。名色の名とは、四蘊の心のわざなれば、目に見えぬものなる間、名をつけて呼ばざれば、あらわれがたし。かるが故に、名というなり。色は目に見るところの眼耳鼻舌身などをいうなり。心法と色法の二つをかねて、名色というなり。
五つには六入なり。これは心識が眼耳鼻舌身意の六根に行き入りて、六根となるなり。
六つには触なり。これは六根と六塵の相対するをいうなり。眼は色に対し、耳は声に対し、鼻は香に対し、舌は味に対し、身は寒熱・痛痒に対し、意は法に対して相触るる故に、触というなり。
七つには受なり。これは善悪の事を心に受け入れるをいうなり。楽を楽と受け、苦を苦と心に受け入れるをいうなり。
八つには愛なり。これは五蘊などの楽を心に受け入れて、さて、それに愛着の心を起こすをいうなり。
九つには執なり。これは愛着の心によって、深く執着するをいうなり。
十には有なり。これは執着の因縁によりて、未来の身を受くることあるを、有というなり。
十一に生なり。これは前の有の因縁を以て、終にまた生まれ来るをいうなり。
十二には老死なり。これは生まれてより、またやがて年寄りて、死するをいうなり。
これを十二因縁の流転というなり。

過去の無明の業縁によって、今現在に苦を受くる身と生まれ、また今この現在にて作る業縁によりて、未来世にまた生を受け、死しては生まれ、生まれては死し、三世の因果絶えず、三界に流転し、無量の苦を受けて、終に止むことなし。これ皆最初の無明の一念の迷いによって、種々の苦を受くるをいうなり。さるほどに、般若の真空の智を以て、無明は本より空にして、実性あることなし。夢幻の如くと観念をなせば、一切の煩悩妄想、畢竟、皆空にして、種々の夢、覚めたるが如くにて、過去の心も不可得、現在の心も不可得、未来の心も不可得。三世の因果、一念に空じ、六道の輪廻、一時に止むなり。
《引用終わり》

十二因縁については、このブログ内を検索しましたら、『龍樹』を読んでいる時にメモっている記事がありますので、ここにまとめておきます。
論敵の縁起説(龍樹8/20)
『中論』の縁起説(龍樹9/20)
ブッダとは(龍樹14/20)

さて、可藤さんによる解説ですが、まず、△痢峭圈廚里箸海蹐気に入りました。どれだけ意味がかぶるか分かりませんが、先日の「サンスカーラ」です。

《以下引用(p238)》
…不生不滅の道理に暗く、真空の実相に背きて、無時間から時間へ迷い出た輪廻の土台ないし基盤である阿頼耶識(無明の心)から自我意識(末那識)が芽生え、独立した個としての自己を行使するところが、△痢峭圈廚覆里澄6饌療には、無明の心が起こりしより、一切善悪の業を作るとあるように、無明(の心)は悪しき行為だけではなく、善き行為もまた無明から生じてくる。
《引用終わり》

無明により心が起動すると、私たちは一元性の世界から生死・善悪をはじめとする二元性の世界へと入る。

これと対をなしている感じなのがの「有」です。

《以下引用(p258)》
有には本有・死有・中有・生有(しょうう)の四有があるが、本有(今生)で終りかというとそうではなく、ただ死を厭い生に執着して(生を好み死を怖れて)、波羅蜜多の意味する、生死の苦界を渡り過ぎて、不生不滅の涅槃の岸に到るという観念もなく、死から次の未来の身(順次生)を受くるまでの間、死有・中有・生有の三有をさ迷うところが「有」である。
《引用終わり》

死有とは正に死の瞬間で、そこを過ぎて中有へ入っていきます。中有(バルドもしくはバズラフ)については、「チベット死者の書」による詳しい説明がありました。

《以下引用(p259)》
生処とは次に生まれる処という意味で、具体的には、天・人・修羅・畜生・餓鬼・地獄(六道)のいずれかをいう。そうして、中有が死有と生有の「中間」に位置し、本有で纏っていた色身(粗大身)ではなく、神通力を備えた微細な四大・五蘊(「死と生との二有の中の五蘊」)からなる「中有の身」(微細身)が、いまだ至るべき未来の身(順次生)を得ていないので生(生有)とはいわず中有という。…ともあれ、三有(死有・中有・生有)を経たあなた(中有の身)が錯乱の果てに辿り着く一つの可能性が子宮(母胎)であり、かくてあなたは再び地水火風の四大からなる色身(粗大身)を纏い、物質からなるこの世界(四次元時空)へと舞い戻ってくることになる。
《引用終わり》

《インデックス》