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「空海コレクション 1 (秘蔵宝鑰・弁顕密二教論)」(ちくま学芸文庫)「秘蔵宝鑰」(p16〜257)の序論(3)「序詩を基点とする十住心体系の概要」を読みました。

《以下引用(p23)》
唯蘊(ゆいうん)に我を遮(しゃ)すれば、八解(げ)六通あり。
因縁に身を修すれば、空智、種を抜く。
無縁に悲を起し、唯識、境を遣(や)ればすなわち二障伏断し、四智転得(てんどく)す。
不生に心をさとり、独空慮絶すればすなわち一心寂静にして不二無相なり。
一道を本浄に観ずれば、観音、熙怡(きい)し、法界(ほっかい)を初心に念(おも)えば、普賢、微咲(みしょう)したもう。

心外(しんげ)の礦垢(こうく)、ここにことごとく尽き、曼荼(まんだ)の荘厳(しょうごん)、この時、漸(ようや)く開く。麼(ま)たの恵眼(えげん)は無明(むみょう)の昏夜(こんや)を破し、日月の定光(じょうこう)、有智(うち)の薩埵(さった)を現ず。五部の諸仏は智印を押覆劼辰機砲欧匿考紊燭蝓四種の曼荼は法体(ほったい)に住して駢填(へんてん)たり。阿遮(あしゃ)一睨(いちげい)すれば業寿(ごうじゅ)の風定(しず)まり、多隷三喝(たれいさんかつ)すれば、無明の波涸(か)れぬ。八供(はっく)の天女は雲海を妙供(みょうく)に起し、四波の定妃は適悦(ちゃくえつ)を法楽に受く。

十地も窺窬(きゆ)すること能(あた)わず。三自(さんじ)も歯接(ししょう)することを得ず。秘中の秘、覚中の覚なり。

吁吁(ああ)、自宝を知らず、狂迷を覚といえり。愚にあらずして何ぞ。考慈、心に切なり、教えにあらずんば何ぞ済(すく)わん。薬を投ずることこれに在り。服せずんば何ぞ療せん。徒(いたずら)に論じ徒に誦すれば、医王、呵叱(かしつ)したまわん。

爾(しか)ればすなわち九種の心薬は外塵(げじん)を払って迷いを遮(しゃ)し金剛の一宮は内庫を排(ひら)いて宝を授(さず)く。楽と不楽と得と不得と自心能(よ)くなす。哥(か)にあらず社にあらず、我心、自ら証すのみ。求仏(ぐぶつ)の薩埵、知らずんばあるべからず。

摩尼(まに)と燕石(えんじゃく)と驢乳牛醐(ろにゅうごご)と察せずばあるべからず。察せずばあるべからず。

住心の深浅、経論に明らかに説けり。具(つぶさ)に列(つら)ぬること後の如し。
《引用終わり》

「住心」についてまとめた文章があるので、メモっておきます。

《以下引用(p29)》
各宗の宗祖は、一宗を開くに当って釈尊が生涯に説いた教えをアレンジして、その最勝と信ずる経典、論書を所依としている。ところが、空海の十住心体系はそれらとは全く異なって思想の歴史を構成している。すなわち儒教(第二住心)、道教・インド哲学諸派(第三住心)、小乗仏教(第四・第五住心)、法相、三論およびインド大乗仏教の二大学派である唯識派と中観派(第六・第七住心)、中国仏教の二大宗派である天台、華厳(第八・第九住心)、インド大乗仏教の発展の最高段階に位置する密教(第十住心)と、思想史の展開をそのまま鳥瞰している。
《引用終わり》

曼荼羅については、自性(じしょう)曼荼羅、形像(ぎょうぞう)曼荼羅、観想曼荼羅の三種に分けて、それぞれ説明してあります。

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