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「神秘主義の人間学」(法蔵館)「第十二章 空海」(p251〜287)を読みました。

《以下引用(p282)》
仏はあなたの心を離れてあるのではない。心の本源(心源)が仏なのだ。それを空海は「自心の仏」、あるいは「一心の仏」と呼んだ。
《引用終わり》

そして、以下の言葉が引用されています。

《以下引用(xiv)》
(59)「自性もし悟らば、衆生は是れ仏なり。自性もし迷わば、仏は是れ衆生なり」(慧能『六祖壇経』)
(60)「衆生は迷えるが故に多の衆生を成し、諸仏は覚れるが故に合して一仏となる」(空海『念持真言理観啓白文』)
《引用終わり》

『念持真言理観啓白文』のこの一節は、以前も引用していました。

《以下引用(p282)》
宗教は絶対者を信仰するとか、人神を宣言する個人崇拝でもなければ、まして現世利益を追い求めることではない。あなたの心が本来仏であることを知ることなのだ。勿論、それが容易なことでないことは空海も認めている。「近くして見難きは我が心、細にして空に遍きは我が仏なり。我が心、思議し難し。我が心、広にしてまた大なり。」(空海『秘蔵宝鑰』第九極無自性心)たとえそうであっても、それはあなたの心であり、あなたの仏だ。すべてはあなたに委ねられている。従って、真の意味では、誰もあなたを幸福にすることはできないし、また不幸にすることもできない。これはよく理解されねばならない。
《引用終わり》

十住心の中の九番目「極無自性心」には、華厳宗が分類されています。空海は、華厳経を重視しました。

《以下引用(p283)》
このように即身成仏とは結局のところ空海のキーワードである如実知自心に尽きる。そして繰り返しになるが、われわれはこれから悟るのでも、成仏するのでもなく(「衆生にまた本覚法身あり、仏と平等なり」空海『声字実相義』)、すでにあなたはそれなのだ(tat tvam asi)。しかし、自心に迷うがゆえに菩提は煩悩となり、いつか(今生ではないかも知れない)自心を悟れば煩悩は菩提ともなる。「菩薩(即心の道を辿る凡夫を指す)いまだ成仏せざるときは菩提、煩悩となり、すでに成仏するとき煩悩、菩提となる」(空海『梵網経開題』)
《引用終わり》


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