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「神秘主義の人間学」(法蔵館)「第十二章 空海」(p251〜287)を読みました。

《以下引用(p269)》
…心の本性も心を離れてあるわけではないから、たとえ遥かな道のりであっても、われわれは自らの心を手掛かりとして悟りへの道を歩むしかないのだ。そして、幸いにも心の本源(心源)を覚ることができたら、それが如実知自心、すなわち空海のいう悟りなのだ。…

「無上菩提の心を発さんと欲はば、まさに先ず深く心に観察すべし」(空海『秘密三昧耶仏戒儀』)。

悟りを自らの心に尋ね求めるという空海の思想の背景には「秘密主、自心に菩提と及び一切智とを尋求せよ。何をもっての故に、本性清浄の故に」(空海『十住心論』「第八一道無為心」,『大日経』「住心品」)とあるように、心の本性は本より清浄であり、常に変わらずそうなのだ。誰もが本来有しているこの心を自性(本源)清浄心と呼ぶ。

しかし、如実にその心を覚ることができなければ、忽然として念(心)が起こる。それを『起信論』は「無明の忽然念起」と呼んだ。そして、この不覚の心(妄念)に覆われて、自性清浄心が分からず、六趣の垢穢を往還しているのが人間なのだ。「衆生、苦海に沈淪し、生死の河に没して、自心の源に迷い、恵命を喪失す」(空海『秘密三昧耶仏戒儀』)。
《引用終わり》

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