ブログネタ
悟りへの道 に参加中!
「神秘主義の人間学」(法蔵館)「第十二章 空海」(p251〜287)を読みました。

《以下引用(p267)》
空海のいう悟りは、ひとえに『大日経』(住心品)の「秘密主よ。いかんが菩提とならば、謂く実の如く自心を知るなり」に依っている。悟り(菩提)というものが、如実に自らの心を知ることだとすると、どんな人も心は持っている。そして心を持っているものは、かならずや悟りを得るであろうというのは大乗仏教の基本的な教えだ。「衆生も亦た爾なり、悉く皆心有り。凡そ心あるものは定んで当に阿耨多羅三貘三菩提を成ずることを得べし。是の義を以ての故に我“一切衆生悉有仏成”と宣説す」。
《引用終わり》

『大日経』の凄さは、松岡正剛氏もすぐに気づいたそうなのですが、まだ私は読んでいません。どんなふうに凄いかを書いてくれているのが司馬遼太郎氏です。

《以下引用(p268)》
空海はこの『涅槃経』の言葉を要約した『儀軌経』の「一切衆生の身中にみな仏性あり、如来蔵を具せり。一切衆生は無上菩提の法器にあらざることなし」を『十住心論』(「第八一道無為心」)で引用している。悟りを如実知自心としたことで、迷悟の鍵があなた自身にあることは言うまでもない。・・・

そこで自分の心は自分が一番よく知っている。それなのに何故悟りとなり得ないのかとあなたは言うかもしれない。

問うていわく、もし即心これ道ならば、
何故に衆生は生死に輪廻して、成仏することを得ざるや。
答えていわく、実の如く(自心を)知らざるを以ての故に……(『大日経』「住心品」)

心を知ることが悟りへの道であるが、まだあなたは実の如く自分の心を知っているのではない。この微妙な違いは『大乗起信論』が心を心生滅(妄心)と心真如(真心)の二相に分けたように、心と心の本性(心性)の違いなのだ。空海の言葉でいうなら、妄念と本心の違いだ。「一切の妄念はみな本心より生ず。本心は主、妄念は客なり。本心を菩提と名づけ、また仏心と名づく(空海『一切経開題』)」。要するに、如実に自心を知るとは、あなたの心の本源(本心=真心)を知ることであって、日夜思い煩っている心(妄念=妄心)ではない。…
《引用終わり》

キーワードに関して、これまでの関連記事にリンクを張っています。併せてご覧下さい。

《インデックス》