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「ちょうどの学習×ちょうどにする指導」の「自己を創造するー学年の枠をのりこえて」(p391〜561)の「教育改革から指導力向上運動へ」(p480〜519)を読みました。(小林教室収蔵

《以下引用(p494)》
スタッフは一般には現場での仕事をささえる裏方とされている。小売店で接客にあたったり、非正規の従業員にこの言葉をあてたりする場合もあるが、じっさいは専門的な技能をもって現場をとりまく状況そのものにふかくかかわるのが本来業務である。映画制作などの場合をみれば、出演者以外で制作にたずさわる監督やプロデューサーなどはスタッフである。
《引用終り》

この本で「アシスタント」と呼んでいる人のことをうちの教室では「スタッフ」と呼んでいるのですが、これはまさに「小売店で接客にあたったり、非正規の従業員にこの言葉をあてたりする場合」に相当する使い方なわけです。

《以下引用(p495)》
ラインもスタッフも元来は軍隊がモデルの言葉、スタッフは参謀であり、ラインは前線に立つ兵士である。業務の遂行に直接かかわるラインはピラミッド型の指示命令系統をもつが、スタッフは専門家集団として分野ごとに分かれて、ライン業務を補佐する。ラインだけの組織の場合、現場責任者の責任がおもくなりすぎて、業務の方向性との連携がうまくいかなくなる場合が多い。
《引用終り》

元来の意味からすれば、アシスタントとはラインの中のピラミッドの底辺に位置しますから、これをスタッフと呼ぶのは完全な誤用になります。公文式の場合、スタッフに相当するのは事務局なのかもしれません。

《以下引用(p495)》
しかし、かつての日本の軍隊のように、天皇の統帥権をカサにスタッフである参謀が、ラインである前線へ命令を出し、前線からの状況報告にも耳をかさずに独断に独断をかさねた過去のにがい経験がある。本来ならスタッフは原則的にはラインから独立していなければならず、ラインへの命令権はもたないのが原則であるが、この「スタッフ―ライン」直結型の組織は、緊急時になればなるほどもろく瓦解しやすい。ラインが自分勝手にうごいたり、スタッフが状況認識も不十分のまま指揮命令権を濫用したりする例がしばしばあるのだ。
《引用終り》

日本の教育を考えますと学校がラインで文科省がスタッフに相当するかと思うのですが、「ラインである前線へ命令を出し、前線からの状況報告にも耳をかさずに独断に独断をかさねた」というところまで、残念ながら、ピッタリ該当しているような気がします。「ラインへの命令権はもたないのが原則であるが」文科省はしっかり命令権を持っているので『「スタッフ―ライン」直結型の組織』ということになり、「緊急時になればなるほどもろく瓦解しやすい」というセオリー通りに現実が進行しているようです。

本当に、「何事も学ばす何事も忘れず」な国民です。「にがい経験」を活かさずに、壊滅的な状況に至るまで、私たちは同じ轍を辛抱強く踏み続けるのでしょうか?

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