ブログネタ
悟りへの道 に参加中!
「神秘主義の人間学」(法蔵館)「第十二章 空海」(p251〜287)を読みました。

《以下引用(p256)》
真我と仮我、不生不滅のあなたと生滅するあなたの違いをよく理解しておかねばならない。本来不生であるにもかかわらず、生死去来しているものがある。それを適確に表現したのはヴィマラキールティであろう。「死(没)とは虚誑(こおう)の法の敗壊の相と為す。生とは虚誑の法の相続の相と為す」※1。真実ならざるもの(仮我)だけが、生・住・滅を繰り返す。この転変極まりなきものを彼は「虚誑の法(いつわりのもの)」と呼んでいるのだ。しかし、人間はこの無常なるものの内側に決して損なわれることのない真実なるものを蔵している。いわば時間と永遠の綜合として人間は存在している。これを法蔵は不思議常という。「是れ即ち無常に異ならざるの常にして不思議常と名づく」※2。
《引用終わり》

出典は※1『維摩経』(「見阿閃仏品」)、※2法蔵『華厳五教章』(「所詮差別」)です。

ヴィマラキールティとは維摩経の主人公のようです。

キーワードに関して、これまでの関連記事にリンクを張っています。併せてご覧下さい。


《インデックス》