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「神秘主義の人間学」(法蔵館)「第十二章 空海」(p251〜287)を読みました。

《以下引用(p255)》
如夢如幻の苦身を六道の辻に運び、輪廻しているのはこの仮我(幻我の子)なのだ。仮我ゆえに、私はどこから来て、どこへ行くのかという問いに悩まされるのであって、真我には(それを空海は「無我の大我」と呼ぶ)、そういった問いは一切ない。だからといって私は、パスカルやプランクを責めるつもりは毛頭ない。こういった問いをえ深めることもない多くの人々の中にあって、彼らの真摯な人間存在への問いかけに私は率直に敬意を表する。ただ、彼らは問題はもっと深いところにある、つまりそう問うものの真・仮(真我・仮我)にまで遡る問題であることに気づかなかっただけなのだ。私に真仮の二種があることを空海は次のように述べている。

「若し我が理趣を求めば則ち二種の我有り。一つには五蘊の仮我の理趣を求めば、則ち仮我は実体なし。実体無くんば何に由ってか得ることを覓めん。若し無我の大我を求めば、則ち遮那の三密即ち是なり……」。
《引用終わり》

出典は『性霊集』(巻第十)のようです。

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