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「神秘主義の人間学」(法蔵館)「第十二章 空海」(p251〜287)を読みました。

《以下引用(p255)》
 ところで、殆どの人は自分といえば身(色)と心(受・想・行・識)からなると考えているだろう。自分を身心と考え、それと同一視している限り、死んだら私はどこへ行くのだろうと、心は不安にかられ、独り死にゆく自分を哀しく思うようになるのだ。しかし、身心(五蘊)のどこに私と呼べるようなものがあるだろうか。あなたは自分自身と対峙し、しばらく観察と分析を続けるならば、私などどこにも見出せないだろう。そして、私とは心が生み出した観念であり、実体のない仮名に過ぎないと知るだろう。しかるに、われわれはそれを自分と思い、かたくななまでに自己を守ろうとする。空海はそれを「五蘊の仮我」と呼んだ
 そして、人は仮我の養いのために波々として人生を渡る。水面に浮ぶ泡沫のように生々死々を繰り返し、六道・四生の流れに随って様々な苦しみを受けてもきた。

「天獄の県に苦楽し、人畜の落(さと)に憂喜す。歎く可し、歎く可し、幻化の子……三界の業報、六道の苦身、すなわち生じ、すなわち滅して、念々不住なり、幻の如く影の如し」。
《引用終わり》

弘法大師の名文を見つけると、引用せずにはいられません。出典は『性霊集』(巻第八)、『吽字義』のようです。

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