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「オランダの個別教育はなぜ成功したのか」の「第2部 オランダ・イエナプラン教育」(p79〜195)「第二章 創始者ペーター・ペーターセン」(p143〜159)を読みました。(小林教室収蔵

イエナ・プランの創始者ペーター・ペーターセンは1884年に、デンマーク領に限りなく近いドイツ領で生まれたようです。ハンブルグで教師となり、「新教育運動」で指導的な立場となりました。1926年の新教育フェローシップの会合での発表のために書かれた『小さなイエナプラン』に、彼の考えがまとめられています。その本からの引用です。

《以下引用(p153)》
イエナプランの考えに基づく学校は、まず何よりも家族学校である。それはどういうことかというと、この学校は国立であるけれども、私たちは、その深い内的な意味において、家族の養育を補完し、さらに進めて、文化生活全体とより密接に結合させることで、若い世代の人々が有機的に国民社会の中に参加し成長していくことを目指した機関として捉えている。
《引用終り》

1926年と言えば大正15年と昭和元年。ドイツでも「規律」や「しつけ」は厳しかったようです。

《以下引用(p155)》
罰や怖れ、強制によって生み出される〈よい行動〉というものは、1人の人間である子どもの個人的な生においては何の意味もないものであり、社会にとっても意味のないものである。
《引用終り》

当時としては、かなり先進的な考え方だったろうと思います。

《以下引用(p157)》
ワイマール共和国は、1918年に建国し、33年ヒトラーの出現によって終焉しています。大衆の政治ストライキやデモンストレーションによって皇帝が追いやられた後に建国したワイマール共和国の時代は、共和国とは名ばかりで、陸軍や海軍の横暴ははなはだしく、ベルサイユ条約による苛酷な賠償取立てと極端なインフレによって社会が混乱し、人心が腐敗を極めた時期でした。
《引用終り》

何だか、ナポレオンが登場する直前に似てます。共和制は初めは迷走しがちなようです。ペーターセンは当時の社会権力者たちの無責任と権威主義に対して強い憤りを持ち、また、教育者として社会変革に関わるという使命感を強く抱いていたに違いないと、筆者は指摘しています。

《以下引用(p158)》
将来どんな政治的、経済的な状況が生じるか、私たちは誰も知らない。未来は、人々の不満、利益追求、闘争、そして今の私たちには想像のできない新たな経済的、政治的、社会的状況によって決まるだろう。けれども、たった一つ確信を持って言えることがある。すべての厳しく険しい問題は、問題に取り組んでいこうとする人々がいて、彼らにその問題を乗り超えるだけの能力と覚悟があれば、解決されるだろう、ということを。この人たちは、親切で、友好的で、互いに尊重する心を持ち、人を助ける心構えができており、自分に与えられた課題を一生懸命やろうとする意志を持ち、人の犠牲になる覚悟があり、真摯で、嘘がなく、自己中心的でない人々でなければならない。そして、その人々の中に、不平を述べることなく、ほかの人よりもより一層働く覚悟のある者がいなくてはならないだろう。
《引用終り》

宮沢賢治の「雨にも負けず」を思い出しました。こういう人に私がなりたいのではなくて、こういう人を育てなければいけないという決意表明だと思われます。

第一次大戦を終えて、大変な状況にあるドイツ。未来はどうなるのか「私たちは誰も知らない」と言いながら、いずれ起こる第二次大戦を知っているかのような書き出し。

この危機感は今を生きる私たちも持たなければいけません。祖先が体験した津波の記憶を完全に風化させて3.11を迎え、最悪の原発事故を招いてしまった現状。再び天変地異が起こらない保証はありません。戦争も未だに絶えません。それに備えて、新しい世代を育成するという覚悟。新しい教育を考えていこうという決意。

現在の日本の学校教育は、戦時下に、ナチスの制度を真似て作った国民学校を、そのまま踏襲していると指摘する学者もいます。これでいいのでしょうか…。

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