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「神秘主義の人間学」(法蔵館)「第十二章 空海」(p251〜287)を読みました。

《以下引用(p254)》
さて、生の始めはもとより、死の終りを知らないまま、幾度か徒に生まれ、徒に死にゆくわれわれ異生の凡夫(人間)を空海は慨嘆して言う。

生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く
死に死に死に死んで死の終りに冥し
《引用終わり》

『秘蔵宝鑰』の中の有名な一節です。松岡正剛氏の『空海の夢』のところでも引用しております。

《以下引用(p254)》
あなたが老いを憎くみ、死を恐れているだろうことはよく分かる。しかし、生もまたあなたが望んだものではない。それなのにあなたは六趣・四生の間を往還し、生死は尽きることがない。そしてあなたを産んでくれた父母もまた、冥々漠々として生の始めと死の終りを知らないであろう。生と死についてこれほどの無知が連綿と続いているとは何という不可解であろうか。生死去来している私とは一体何かが明らかにされねばならない所以である。
《引用終わり》

「六趣・四生」とは、『理趣経開題』の中の「六趣の夢苦は夢の中に極めて苦しみ、四生の妄憂は妄の裏にいたりて辛む」を踏まえているようです。

衆生とは衆多の生、つまり何度も生と死を繰り返しているものという意味であり、いくたびか徒に生まれ、徒に死を繰り返して来たということで「広劫多生」と言われております。

バルドの闇を私たちは何度もくぐり抜けて来ている…。

今回はせっかく仏法に出会ったのだから、そろそろやめませんか?というのが、これ仏教。

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