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「神秘主義の人間学」(法蔵館)「第十二章 空海」(p251〜287)を読みました。

本章は、『瞑想の心理学』のプロローグにもあった量子論の提唱者マックス・プランクの言葉で始まります。

《以下引用(p251)》
「私はどこから来て、どこへ行くのか。これは由々しい問題である。万人にとってそうなのだ。しかし、科学はその答を知らない」
《引用終わり》

また、『自己認識への道』にもあったパスカルの言葉も引用されています。

《以下引用(p251)》
「私はやがて死ななければならないということ、これが私の知っているすべてである。しかし、どうしても避けることのできないこの死を、私は何よりも知らないでいる。私は、私がどこから来たかを知らないと同様、私はどこへ行くかを知らない」。科学は日進月歩めざましいものがある。しかし、彼らの問いに、今も科学は勿論、キリスト教も納得のいく答を用意しているとはとても思えない。
《引用終わり》

仏教は少し違う…ということで、『維摩経』の一節。

《以下引用(p252)》
シャーリプトラはすすめられるまま、ヴィマラキールティに尋ねる。
 あなたはどこで命果て、ここに生れたのですか。
すかさずヴィマラキールティは応酬する。
 あなたは死と生が本当にあるとお考えなのですか。
不意をつかれたシャーリプトラは、この問いそのものが間違っていることに気づき、
 いえ、生も死もありません。
と答える、…。
《引用終わり》

生死とは、「私」の問題であり、「私」を空ぜしむを目指す宗教においては、生も死もまた空。

《以下引用(p252)》
宗教は本来、「私とは誰か」を問うことから始まる。だから空海も「かつて我の自性を観ぜずんば、何ぞよく法の空諦を知らん」と言うのだ。自己の本性(我の自性)を知ることなくして、どうして真理(法の空諦)など知り得よう、という意味だ。今回も、問われるべきはわれわれ自身であることを基本に据え、即身に成仏するという空海(774〜835)の思想の一端を辿ってみよう。
《引用終わり》

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