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「神秘主義の人間学」(法蔵館)「第十一章 慧能」(p221〜250)を読みました。

「ねずみの嫁入り」のような、「青い鳥」のような…求めるものは、ずっと前からここに有った!というお話です。

《以下引用(p247)》
もうお分かりと思うが、世界は変わらないのに、換言すれば、世界を変えようとしたわけでもないのに、自己自身が変わったが故に世界も幻影から真実へとその様相を一変させたのだ。もう水面に浮かぶ月影を掬いとろうとして身を滅ぼした猿の愚かさを繰り返すことはないだろう。真実の人(無位の真人)に願わずとも真実は瞭々と現われている。「当処即ち蓮華国、此の身即ち仏なり」(白隠『坐禅和讃』)。神秘の扉を開く鍵はあなた自身の自己であり、その変容にあったのだ。
《引用終わり》

「身を滅ぼした猿」というのは『草堂詩集』(良寛)のことかと思われます。

《以下引用(p247)》
本源へと辿るプロセスを振り返ると、三つの“見る”段階があるようだ。^媼院覆海海蹇砲良汁悗主客(色心)の関係でものを見ている(科学学問領域)。⊆腟劼共に消える意識の深層に突然無が現れると、ものは存在しているけれども目は何も見ていない。,鉢△隆屬飽媼韻表層から深層へと辿ると、その変化に応じて、また個人的、集合的な背景(カルマ)の違いから美しい色彩や様々な幻影の世界が現れてくるが、これについては触れない。「仏に逢うては仏を殺す」とあったように、すべて捨象されるべきものであるからだ。L気涼罎卜韻泙辰涜狹召垢襪海箸なければ、やがて生死の根本である無明の暗窟は打破され、忽ち純粋意識(自性)の鏡の中に全体が現れ、あなたはすべてのものを見ている。あなたは自分自身を失っているのであるが、かくしてのみあなたはすべてのものを受け取り直すのだ。そこには「喜も無く亦た憂も無く」、名もなければ形もない愛(真理)のみがある。この愛は存在するすべてのものに浸透し、尊卑、浄穢を問わず、どんな些細なものの中にも全体を現す。宙を舞う塵にも等しい人間もそうなのだ。「展(の)ぶる則(とき)は法界に弥綸(みりん)し、収むる則は糸髪も立たず。歴歴孤明にして、未だ曾つて欠少せず。眼も見ず、耳も聞かず。喚んで什麼物とか作す」(『臨済録』)。すべてはあなた自身の一部であり、花と咲いているのはあなたなのだ。

山を見るに是れ山、
山も見るに是れ山にあらず、
山を見るにただ是れ山。

返本還源の旅もようやく終りに近づいた。心の本源に帰入するとき、あなた(の心)は朝霧が陽光の中で晴れ渡るように消える。と、その背後から自然はあるがままの美しい裸身(独露全身、清浄身界)を現す。そこにあなたはいない(無我)。あなたはそれなのだから(大我)。
《引用終わり》

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