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「オランダの個別教育はなぜ成功したのか」の「第1部 オランダの個別教育」(p9〜77)「第一章 個別教育がどうして大切なのか」(p10〜25)を読みました。(小林教室収蔵

《以下引用(p16)》
オランダの小学校の光景です。

小学校の教室では、子どもたちはたいてい5〜6人ずつのグループを作って勉強します。もちろん授業中に先生が子どもたち全員に同じ説明をする時間がありますが、授業時間全体の中に占める割合はそれほど多くありません。一人ひとりの子どもたちがそれぞれ違う課題をこなしている光景がよく見られます。いつもグループの席に座っているばかりではなく、教室の隅のコンピューターに向かっている子どももいれば、廊下に設けられた机で勉強している子どももいます。先生は、黒板の前の教壇に立っているというよりも、グループごとの席に座って勉強している子どもたちの間を静かにゆっくりと回りながら、必要に応じて小声でアドバイスをしています。時々、子どもたちが自由に席を立って先生のところにやって来て質問をしたり、やり終えた課題を見せに来たりします。先生は、子どもの質問に答えたり、子どもが持ってきた課題の答えを点検しながら、よくわかっていない子どもには、教室の壁に備えられた棚に並ぶ様々な教材の中から、その子どもの学習情況に合ったものを取り出して、子どもたちが自分の力で理解するように助力しています。

オランダの学校では子どもたちを椅子に縛りつけることがあまりありません。ほかの子どもの邪魔にならない限り、また、取り組んでいる学習のためである限り、子どもたちは自由に席を立ち、教室の各隅に用意された読書コーナー、コンピューターコーナー、ゲームコーナー、資料棚、などに行って課題をこなしています。

課題を終えた子どもは、たとえば、教室の外の廊下やホールの明るい窓のそばなどで、その時間の教科以外の追加学習に取り組んだり、パズルやゲーム感覚でできるもっと挑戦的な課題に取り組んだりします。そのための、色彩豊かで、見ていて楽しくなるような教材が学校の備品としてふんだんに用意されています。

子どもたちの身体の動きには、不必要な制限がありません。普通は、先生が説明をしている時以外はトイレに立っていくことも制限されていません。かといって何もせずにボーッとしていたり、おしゃべりに夢中になっている子どもがいるわけではなく、どの子も授業の時間中一生懸命勉強しています。
《引用終り》

まるで天国…。登校拒否は少ないでしょうね。

《以下引用(p18)》
普通の子ども、平均的な子どもを基準にした教育では、それよりもできる子どもは常に時間を持てあまし、授業のスピードについていけない子どもは、わからないまま授業の進行に押し流されていきます。どちらの場合も、能力が最大限に効率的に伸ばされているとはいえません。そもそも普通の平均的な子どもというものが実数としてどれほどいるのでしょうか。
《引用終り》

この問題意識は、公文式と完全に共通するものです。

《以下引用(p19)》
そんなふうに子どもの行動や発言を許容してしまっては収拾がつかなくなり学級崩壊に陥る、と心配されるかもしれません。確かにその可能性は否定できません。だからこそ、そこには、子ども自身にとっても安心して行動し発言することのできる一定のルールが必要になります。混沌とした環境は子どもにとっても落ち着きのない不安定なものです。自発的な行動や発言を混乱の原因として抑えるのではなく、むしろこれを一定のルールの下で刺激し、学びのきっかけにするような学校での環境づくりは不可能ではありません。オランダの個別教育の現場で工夫されているのは、このような点です。
《引用終り》

公文式の教室では、子ども同士が協力して行動する(共同学習)ようなことは余りありませんが、共通の問題意識から出発していますから、参考になることは多々ありそうです。

《以下引用(p20)》
このような環境が作られておらず、ただ、先生の授業を静かに受動的に聞くことしか許されていない日本の学校では、ほかの子どもと共同で作業している際に、どんなふうにして感情を表現し、どんなふうに機会を捉えて発言をし、さらには、どんなふうにほかの子どもの感情表現や発言を受け止めるか、という、人間関係の訓練がほとんど行われていないのではないか、と思います。いずれ学校教育を終えて、社会に出て行く子どもたちには、受身に知識を吸収することのほかに、もっと、自立して、社会の中の人々と共に働き、関わっていく訓練が必要であるはずです。
《引用終り》

先日も、専門学校の同級生を殺害するという、痛ましい事件が起きました。そのきっかけとなったのが、LINEへの書き込みだと報じられれば、ITがいかにも問題であるように感じがちです。そういう分析もある程度は正しいかもしれません。

直接のやり取りで人間関係を構築する訓練ができていない子どもたちが、ネットでコミュニケーションを取るのは危険である、だから、子どもがメディアを使うのを制限しようという、時代の流れに消極的な動きがあります(アウトメディア)。反面、直接のやり取りで人間関係を構築する訓練を増やそうという積極的な議論や動きは見られないような気がします。

このような訓練は、子どもたちを最も長く拘束する学校において行われるのが当然効果的であり、オランダの共同学習のような形で養われるのが最も望ましいわけです。さらには、ネットのコミュニケーションによる健全な人間関係の構築の訓練にさえ、本来は学校が敢然と踏み込んでいくべきではないかと思います。

ただ、そんな余裕がないほど日本の学校が機能不全を起こしているのも周知の事実です。公文式の教室として何かできないか、この本を読みながら模索していきたいと思います。

Youtubeでもたくさんアップされています。その一部、リンクを張っておきます。









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