ブログネタ
悟りへの道 に参加中!
「神秘主義の人間学」(法蔵館)「第十章 劉一明」(p197〜220)を読みました。

《以下引用(p211)》
それでは実際に、真我(真身)を知るにはどうすればよいのかというと、あなたの神炁(心身)を知ればよい。しかし、神炁といっても先天(真)と後天(仮)の違いがあり、道を修し、悟りに至るためには先天の神炁に基づいてなされなければならない。仮を借りて真を修するのが道教(仙道)における修道の基本である。…

具体的に言えば、真身は色身の内側に隠されているのだから(色身中蔵真身)、色身の外に真身を求めるのでも、また色身に捕らわれてもならない。いわば即身成仙(成仏)ということ。つまり道(タオ)の高みに到達するために色身の内側を深く掘り下げ、真身へと辿り着かねばならないのだ(欲上高処先當下)。
《引用終わり》

「蔵」というと如来蔵を思い出します。その真身へ向かうことは本源へ帰ることでもあります。

《以下引用(p212)》
返本還源、即ち本源に還るだけですべてが尽くされる(知得一萬事畢)という思想は、劉一明の宇宙観(造化之道)と分かち難く結びついている。…

造化の道は、虚無→一炁→陰陽→三体→万物と展開してくる。…

…現在われわれはこの道の最果てに来ているが、ここで私たちは迷ってしまったのだ。…そこに示された道標が劉一明の言う逆運の道である。造化の道を逆修して再び虚無の本源(真源)へと帰るということだ。
《引用終わり》

《インデックス》