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「神秘主義の人間学」(法蔵館)「第十章 劉一明」(p197〜220)を読みました。

《以下引用(p202)》
順造化の場合、あなたは人間であっても基本的には動物と同じ、種の保存にかかわっている。…基本的にあなたは過去から引き継いだ情報(DNA)を未来に伝える単なる伝道者(道具)に過ぎず、あなた自身は同じ生死の円環を巡るばかりで本質的に何も起こっていない。一方、逆造化の場合、あなたは神でもって精炁に働きかけ、後天(仮)から先天(真)へ、生々死々する人間から不生不滅の仙仏へ行き着こうとする。順逆は自然の造化に順じて炁を性的に外へ流すか、逆修によって内へ流すかの違いだ。それが人(凡)となり、また仙(聖)となる別れ道なのだ…。
《引用終わり》

われわれは遺伝子の乗り物に過ぎない…というようなことをドーキンスが言っていたような気がします。

《以下引用(p205)》
…愛の対象を求めて外を駆けずるのではなく、あなたがすでに持っている陰陽のニ炁を再び調和させる。つまりあなたの内側で男性エネルギーと女性エネルギーを統合すると、そこにエネルギーの円環が形成され、炁の漏失を避けることができる。陰は陽に、陽は陰にと分裂していた二つのエネルギーは一つに融け合い、恍惚杳冥の間に一点の生機(一陽)が萌すと(男女の交媾から推し量ればよい)、あなたは自分自身を全く新しい存在(真身)として産むことが可能となる。ナグ・ハマディ文書を参酌すれば、あなたの内側で「男性と女性を一つにして、男性を男性でないように、女性を女性でないようにする」ならば、あなたは自分自身に新たな誕生をもたらすことができる、となろうか。この新しい実存が「宗教的単独者」といわれるものであり、絶対的に独りでありながら、全体を包む不生不滅の「独露全身」(『百字碑註』)なのだ。これが逆造化、すなわち仙仏の道である。いずれの道も陰陽のニ炁を出ないのであるが、炁の流れる方向(外と内)が逆なのだ。

…仙仏となるか、生々死々する人間に甘んじるか、それ程大きな違いがあるわけではない(仙凡路隔只分毫)。だから私はいずれの道を選ぶかはあなた次第であると言ったのであり、あなたの境界がどのようなものであれ、責任を負うのもあなたをおいて他にはないのだ。
《引用終わり》

女から産まれなかった者」が「トマスの福音書」に出てきました。これを説明した文章は、今になって思えば道教による説明のようです。

《以下引用(p206)》
翻って、陰陽分裂があらゆる二元論の根底にある。そこから男女、生死、快苦、悲喜、愛憎等、後天の用事はいつ果てるともなく生じてくる。逆造化によって陰陽のニ炁を統合して、先天虚無の一炁とすることができたら(便陰陽交合帰於一炁)、やがて有漏の身体(色身)から無漏の身体(真身)が現れてくる。無漏の真身となることで、われわれは陰陽(男女)が織りなす自然の造化(生死)を越えてゆくのである。
《引用終わり》

「性こそあらゆる二元性の根源であるから、性を超える時、人はすべての二元葛藤から自由になるのだ。」という文章が「自己認識への道」の中にありました。

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