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「ちょうどの学習×ちょうどにする指導」の「自学自習と教材の力」(p229〜389)の「数学教材から考える:教材と指導の一体化」(p342〜389)を読みました。(小林教室収蔵

数学教材に関する章は、教材論から始まっています。

《以下引用(p342)》
批判のない教材は死んだも同然である。公文氏の時代には、かれ自身がこの教材のここはいかがなものかと指導者のまえで、隠すことなく疑問を呈した。みずからのつくった教材をそろそろ本来の形にしてもいい時期が来たと言うこともあったし、指導者との意見交換の場で教材改訂のための自分の考えを述べて先生からの反応を得ようとすることもあった。教材発展のためと考えれば、むしろ批判は歓迎されこそすれ、無視したりいやがられたりするものではない。斉田氏ももちろんそう考えていた…。

教材は改訂が命である。教材改訂をしたら、その三ヶ月後にはさらに教材改訂をするつもりで改訂情報を集めろ、とは、公文氏の言葉である。公文氏自身が教材は神棚にあげてまつりあげるものではないと考えていたのだ。
《引用終り》

これは、読んでみれば当たり前のことなのですが、こういう考え方を持ち、実践していくことは難しいことです。教材の改訂は、各教室でも新旧の教材の入れ替え作業が生じ、大変なことです。しかし、公文氏は実践された。素晴らしいことだと思います。

《以下引用(p343)》
まず生徒には能力差がある。しかも、指導者の指導力も千差万別である。多くの指導者が改訂をのぞむ箇所であっても、能力の高い生徒にはなんの問題もないことはしばしばである。また、指導力のある指導者はその教材の箇所をまったく意に介しないこともある。多くの声があるというだけでは教材改訂はできないし、ましてや全体の平均的な声や数字的な平均値を神の声とばかりに信じれば、いきおい教材の質はどんどん落ちていくことになる。
《引用終り》

教材に関する声に耳を傾けなければ「裸の王様」になってしまう。しかし、「ろば売りの親子」みたいな教材改訂ではいけない…

《以下引用(p344)》
斉田氏が教材への批判をしばしば口にするのは、教材の改訂が全指導者に満足のいくものにしようとして、平均値の教材改訂をおこなおうとするからなのだ。こうした改訂は先生にしてみたら、教材の質の低下としか映らない。教材自体が成長発展するイメージを担当者が持とうとしない、これがなんとも釈然としないのだ。先生の教室には年少の生徒の高教材学習者がたいへん多い。こうしたとき、学習のしやすさだけをねらって、問題の量を減らしたり、その問題の質を落とされたりするとひじょうに困る。それまでに指導でつちかった学力がムダになるばかりか、消えてしまう場合すらあるのだ。生徒の能力は上がるどころか下がってしまう。生徒は毎日闘っている、同じように教材も闘ってほしい、と思う。だから、先生の教材批判は容赦のないものになるのである…。
《引用終り》

《インデックス》

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