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「ちょうどの学習×ちょうどにする指導」の「自学自習と教材の力」(p229〜389)の「国語教材から考える:教育は生徒のいま、ここでの経験に立脚する」(p308〜341)を読みました。(小林教室収蔵

《以下引用(p339)》
…斎田先生の国語指導の特長はなんといっても、教材のある箇所で右に述べた読みの指導を、その日一日の、教材一枚のなかですべてし終わってしてしまうところにある。先生の言葉をつかえば、読みの不十分な生徒がいたら、その教材で読みを「ちょうどにする」、「ちょうどにしてしまう」指導なのである。…ある人が言った、「斉田先生の完成時間は、問題一題ごとなんですね」と。まさにそのとおり、先生は10枚一組で学習状態をみたり、5枚一組でみたりはしない。一枚のなかで、いや、一題のなかで、「ちょうどの学習」でない状態があれば、間をおくことなく、即座に、その場で「ちょうどにする指導」をおこなうのである。

生徒の読みが不十分であることがわかったら、あわてて何教材か下の教材にもどして、復習をするとか、もっと初期の簡単な文が出る教材をつかって、そこで集中的な音読訓練をおこなうというやり方が、しばしば見受けられる。しかし、やさしい教材にもどして音速読(速い速度で音読をさせる)ができたからといって、いま学習中の教材の読みが改善されることはない。もともと生徒の読みが不十分であったのは読みの速度が遅かったのではなく、みずからの経験に裏打ちされた読みができなかったからである。しかも生徒はとつぜんこの教材をしているわけではなく、これまではスムーズな読みで学習してきている。BとかC教材の学習で読みの不十分さが見つかったといって、すぐさま7Aとか6Aとかにもどして復習する指導は、生徒が困難を感じている教材から指導者が逃げているだけではないか。
《引用終り》

文章の内容を自分の経験世界に移しこんで腑に落とす」ことが国語の場合は必要なのですね。

《以下引用(p340)》
「ちょうどの学習」ができていないとみたら、すぐに、その場で「ちょうどにする指導」をおこなう、これが学力の実態をみる、ごくしぜんな態度なのだ。この指導の基本は、数学でも、英語でも、国語でも変わることはない。こうした必要な指導をしないで、別の教材に逃げこんだり、読書をすすめたりすることで読んだことにしておこうといった指導者の姿勢は、子どもにも大きな損失を引き起こすものだと、指導者はふかく自覚しなければならない。
《引用終り》

なかなか手厳しいですが、「なるほど!」です。

《インデックス》

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