ブログネタ
悟りへの道 に参加中!
「神秘主義の人間学」(法蔵館)「第十章 劉一明」(p197〜220)を読みました。

若き空海は「三教指帰」で道教を批判しています。そして新しい仏教である密教を日本に導入すべく、唐に渡り、持ち帰ったわけです。しかしながら唐では道教が重用され、インドからもたらされた密教は余り広まらないまま日本に伝わり、間もなく仏教は廃れます。その後、中国の思想は道教を中心に発展していったのでしょう。

《以下引用(p197)》
一般に宗教は心(神)を重要視するあまり身(炁)を貶しめる傾向にあり(心身一如を標榜する宗教もあるけれども、全くかみあっていない)、科学はいまだに心(神)を扱いかねている。

道教は、今もよく見かける、そうした宗教や科学の独善的な学問体系とは初めから無縁だったようだ。というのも道教は人間を含む一切のものが神炁の両者によるエネルギーの運動と捉えているからだ。しかし、神炁といっても先天(真)と後天(仮)の違いがあり、私たちは真仮を弁えないで、後天の自己を維持するために多大のエネルギーを注いできたが、意に反して、私たちは絶えず死に晒され、死ぬことを死ぬ程恐れるのは何故か。本来死とは後天の自己を解体して神炁の根源に立ち帰り、先天の自己に行き着くことである。その時、私たちは実在(リアリティ)と一つに融け合い、道(タオ)の人として甦る。道とは私たちが帰趨する生の源泉(gzhi)のことだ。
《引用終わり》

劉一明は、これまで「未生身以前の面目」とか「凡夫の道」と「仙仏の道」という言葉で出てきています。

《以下引用(p198)》
今回取り上げる清代の神秘思想家劉一明(1734〜1826?)は、極めてラジカルな全真教北派の流れをくみ、『参同契』を初め、多くの金丹道の典籍(仙書)に注解をほどこし、自らも晩年に至って『悟道録』などを著している。思えば、カルガリー大学留学中に、たまたま手にしたLin I-ming(劉一明)の著作に中に私が見たものは、すでに紹介した思想家と相通ずるものが多くあったとはいえ、かえってそのことが私には新鮮な驚きであった。充分咀嚼したとは言い難いが、謗りを恐れず書いてみよう。
《引用終わり》

「トマスの福音書」が取り組んだ男女問題(笑)に、重なる内容が有ったようです。この「神秘主義の人間学」に劉一明の章があるために、敢えて「自己認識への道」を読んでいた時に保留にした部分です。

さてさて、楽しみです。

《インデックス》