ブログネタ
悟りへの道 に参加中!
「神秘主義の人間学」(法蔵館)「第九章 ロンチェンパ」(p175〜196)を読みました。

今回は、「再生のバルド」と言われるシパ・バルドについて。

《以下引用(p184)》
Ε轡僉Ε丱襯匹郎得犬離丱襯匹箸い錣譴襪茲Δ法△修譴能わりというのではなく、再び〆生のバルドへと生まれてくるプロセスなのだ。終りは初めへと続く果てしない旅というわけだ。ここではカルマによる幻覚に逃げまどい死ぬほどの恐怖を味わうことはあっても、空それ自体が姿をとって現れたあなた(意成身)が死ぬことは決してない。むしろこの混乱した状況の本質、即ちあなたの投影である幻影とあなたの双方が本来何の実体もない空であると悟るべきなのだ。これが迷悟の分岐点となる。しかしそれが叶わないときあなたは輪廻を終えることができず、再生のための子宮へと逃れゆく。
《引用終わり》

再生というと聞こえがいいですが、要は「ふりだしに戻る」なんですね。

《以下引用(p185)》
するとそこに男女が交歓している幻想が現れてくる。再生の機会は無数にあり、殆どの人の場合それは無選択のうちに起こる。この苦しさから逃れられるのならどこに生まれようともかまわないとするあなたの絶望的な願いと、男女の欲望が内外和合して初めてあなたは新しい生命として再生してくるが、この生命が本質的に新しくもないことは説明を要しないであろう。われわれはこれまで一度として産むものと生まれるものの関係を問うてこなかった。というか何故か曖昧にしてきた。私もまたこれ以上は口をつぐむが、一つのヒントにはなるだろう。ただ、いわゆる生が真理(ダルマ・カーヤ)を悟り得なかったあなたの馴れの姿だとは言っておこう。

そしてここにもうひとつ、性的な幻想にひかれてゆくあなたにエディプス・コンプレックスを思わせる愛憎の萌芽を見てとることができる。「もしあなたが男性として生まれるときは女性に愛着をもち、男性に敵意をいだくであろう。逆に女性として生まれるときは男性に愛着をもち、女性に敵意をいだくであろう」。いずれにせよその歓喜(サハジャ)の中であなたは無意識になる。

翻ってこの地上が愛憎うずまく世界であることを誰が否定し得よう。しかも人間の無意識の裡に埋め込まれた情念が愛憎であったと知れば、その根の深さも頷けようというもの。どんな人間も愛の道具であり、また犠牲者なのだ(生死本源の形は男女和合の一念、流浪三界の相は愛染妄境の迷情なり)。かくしてあなたは子宮を隠れみのに再生への第一歩を踏み出すことになる。同じ生のパターンを繰り返すために……。
《引用終わり》

「なるほど」という内容だったので、ほとんど全部引用してしまいました。「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く…」というフレーズや理趣経が想い起され、空海を思わずにはいられない内容です。最後の空海の章が楽しみです。

《インデックス》