人生ゲームがまた流行っているようです。このゲーム、逆説的で示唆に富んでいるような気がします。人生のようなゲーム、それが楽しいのであれば人生も楽しいはず。ならば、ゲームなんかしなくても人生は楽しいはず。

「ゲームばかりしていて全然勉強しないんです。」というのは、よくある親の悩み。ゲームの達人と言われる少年が、お友達にゲームのワザを教えている光景を見たことがあります。攻略法をいろいろ知っていて、とても複雑な説明をしていました。その知識の量は素晴らしい。さらに、腕も素晴らしいわけですから、技術の習得に費やした時間も膨大でしょう。

この努力、勉強とか仕事と何が違うのだろう。

最近では、ゲーミフィケーション(Gamification)ということで、日常の仕事のプロセスにポイントとかメダルとかを付けることによって、仕事をゲームのようにし、モチベーション・アップを図っている企業もあるらしいです。私は「そんなことしてまで、仕事してもらわなくてもいい!」と言いたくなる世代なんですが、時代遅れなのでしょうか?

うちの教室でも、勉強を頑張った人には飴や景品をあげたりします。公文全体としては、オブジェとかをあげたりします。これもゲーミフィケーションの一種と言えるでしょう。

これらは、仕事や勉強にゲームの要素を取り入れた例ですが、逆にゲームに勉強の要素を取り入れたものがあります。「ケミストリークエスト」です。開発者は小学生で、社長にもなっています。まさに、人生ゲームのようですね。

人生をゲームのように、ゲームを人生のように。

このように意図的にやっているのはいいとして、私たちは無意識に逆のことをしていないんでしょうか?つまり、私たちは知らず知らずのうちにゲームをやりたがるようにしむけている(演出している)のではないのでしょうか?勉強をやりたがらないように演出しているのではないでしょうか?

勉強を嫌なものにしているものとして今思いつくのは、ちゃんとしなければいけないという潔癖さ(完成度を求めること)、義務感と強制、「あなたのために言っているのよ!」という押しつけがましさ、などなど。

そこに気づけば、格別ゲーミフィケーションを意識しなくても、仕事・勉強・人生を、ゲームのように楽しいものとして演出することができるのかもしれません。