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「神秘主義の人間学」(法蔵館)「第九章 ロンチェンパ」(p175〜196)を読みました。

今回は、「死の瞬間のバルド」と言われるチカエ・バルドについて。遺された人たちは「お葬式は急に来るから大変だ」などと失礼なことを言いますが、本人の動揺・恐怖・混乱はそんなものではありません。「死」に進むことを恐れ、消えつつある「自分」にしがみつこうとする…

その様子は、例えば「十字架の聖ヨハネ」の章に書いてありました。

《以下引用(p183)》
輪廻する人間の果敢なさ、空しさの根本原因が自己の真偽さえ明らかにできない無知(無意識)に起因していることに気づいている人は本当に少ない。「4日と半日の間あなたは無意識の状態にある」。そして目覚めてみるとそこがどこなのか、自分に何が起こったのか、死んだはずの自分がまだいる。もちろんこの時、生前の肉体(粗大身)はないが、心からなる意成身(微細身)は存続している。この場合の死は『死者の書』が目指していたぅ船エ・バルドにおける悟りとはならず、ということはカーラチャクラ・タントラもいうように、誰もが死の瞬間に真の光明(オーセル)を体験しているわけではなく、肉体と魂(意成身)が分離したまでのこと。このような分離の体験ならこの地上においてもないわけではないが、ぅ船エ・バルドを経て肉体と魂が決定的に乖離すると、われわれがこれまで一度も経験したことのない異形の世界が現れてくる。よくも悪くもかつての自分は生きのびニ\のバルドへと入っていくのだ。
《引用終わり》

「よくも悪くも」とあるように望ましくない展開なのでしょうが、次回はニ\のバルド。

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