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「ちょうどの学習×ちょうどにする指導」の「自学自習と教材の力」(p229〜389)の「国語教材から考える:教育は生徒のいま、ここでの経験に立脚する」(p308〜341)を読みました。(小林教室収蔵

《以下引用(p312)》
人を人たらしめる元になるのは言葉である。人は言葉を得て、はじめて人格上の発展をとげていく。「学力がつけば人格的にも立派になる」という公文氏の言葉(啄木「明日の考察」)が成就するためには、国語教育が大きな役割をもつはずである。たんにリーディングやライティング、また、ヒアリングやスピーキングといった言葉の機能や役割を伸ばすだけのスキル中心の言語教育では、こうした課題に応えることはできない。
《引用終り》

ここで、村田氏お気に入りのヴィゴツキーの登場です。

《以下引用(p313)》
…自己中心言語といわれるひとり言は、人が社会的言語を習得してもなお存続する。この事実に着目し、幼児にみられるひとり言を内面化された、声に出ないが、頭のなかで展開される言葉、すなわち、「内言」と定義づけて、社会的言語としての働きをする言葉に「外言」という概念をあてはめ、この内言こそが人を人たらしめる「思考の言語」であると説いたのが、ロシアの心理学者ヴィゴツキーだった。ここにはじめて、言語的思考、なかでも、概念的思考の発達という領域に道筋ができ、「内言論は人格論である」という地平が拓かれることになったのである。
《引用終り》

この観点から、成長の過程を追ってみますと…

《以下引用(p314)》
子どもは周りの環境にはぐくまれるかのようにして、やがて言葉を発するようになるが、この段階では、言葉はまだ環境に強いられて発する言葉であって、まわりの事物の関係に左右された言葉の段階にとどまっている。しかし、幼児はじょじょにこうした限定的な言葉の段階を脱して、概念とよばれる段階に入っていく。概念は階層性や体系性をそなえているため、具体的な事物による制限を解き放って自由にとびまわり、概念と概念との関係性を密にする。そして、人間の子どもは言葉に自覚的になり、言葉を自由に使いこなせるまでになる。すなわち、人は概念相互の関係から生み出される真の言語的思考へと進んでいくのである。この過程で有効な働きをするのが、学びのなかで身につけた科学的概念(人間科学一般に通じる知であり、学校で習得するもの)なのだ。この科学的概念の習得が内言の概念化をすすめ、これまで言語の多くを占めていた生活にそった言葉を概念の網の目のなかに位置づくようにするのである(知育自体のこうした働きに目を向けない徳育主義は、やはり片手落ちなのだ)。

科学的概念を学習する過程をとおして、みずからの心理に経験した自覚性と随意性は、生徒自身の内面を自覚にみちびき、反省を可能にし、自己意識を分化させて、はるかに深く広い他者理解をもたらし、さらにその社会的な発達が人格の形成をうながしていく。そして、やがて生徒は人格と世界観の高次な基礎を築いていく。
《引用終り》

こうなってくると、同じ言葉でも意味の重みが違ってきます

《以下引用(p316)》
意識は、太陽が水の小さな一滴に映し出されるように、言葉の中に映し出される。……意味づけられた言葉は人間の意識の小宇宙である。(『思考と言語』1934)

こう描かれた内言は辞書的な「意義」がとびかう世界ではない。いわば想念だけが浮遊して、くっついては離れる「意味」の世界である。しかもその世界は、これを所有する住人だけが主体となって創り出す、基本的に知的なことがらや感情的なことがらのすべてをふくむ複合体なのだ。言葉は人の意識を映し出す単位となり、そして、単位相互の結合をくり返しては大きな塊となって、無限に拡大していく。
《引用終り》

この、太陽をも含み得る言葉たちが結合して創り上げていく大きな概念の塊は、その人を守ることさえある…。

《以下引用(p318)》
かつて、13歳の危機とか、14歳の闇とか言われたことがあったが、さまざまな事件のうらには、この思春期がもつ独特の不安定さが存在していた。まさにこれこそが人格をはぐくむ時期、自己意識をもつ思春期の特徴なのだ。…

こうした環境の変化に余裕をもって立ち向かっていけるように、せめて中学校の学習に必要な概念的な基礎基本だけは身につけておいてあげたい。…

斉田先生が、わがままをいって、学習に見向きもせず、ダダをこねている幼児のお母さんに、「学力はつけるの、つけなくてもいいの」と言って、学力をつけるために意志を固めさせたり、「お母さん、もうしばらくすると、プリントをしたくない、見たくないと言い出す時期になりますよ」といって、親があわてて混乱しないように助言したりするのも、子どもたちが出会う危機の時代に余裕をもって立ち向かわせたいためなのだ。来年、小学校に入る年長の幼児をもつお母さんには、「一年生になって、いちばん大事なことって、なんだかわかる?仲間あつめ、友だちづくりですよ。環境づくりですよ。そんな大切な時期に、勉強で足を引っぱるようなことがあっては困るでしょう」とも言う先生である。新しく中学生になる生徒には、学業で気持ちまで萎えさせないように親のほうが前もって配慮しておくことの大切さアドヴァイスしたりする。まさに斉田氏の教室での教育とは「ケアとしての」なのだ。だから、小六でI教材といわず、できるだけ教材は伸ばしておきたいと考えるのである。
《引用終り》

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