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「神秘主義の人間学」(法蔵館)「第九章 ロンチェンパ」(p175〜196)を読みました。

《以下引用(p179)》
さて心は何に触れてもそれなりに反応し、言語化されて思考となる。われわれに様々な問題を投げかけてきたのもこの思考である。曰く、私は幸福にならねば、私はまだしにたくない……と、いろいろ手を尽すが、その背後には焦燥感にも似た思考が働き、われわれを行為へと駆り立てる。…

…思考はわれわれの過去の経験や知識が新しい状況と反応して構想された未来と言えるだろう。…思考は、…各人の過去の記憶(情報)に制約され、われわれはさして新しくもない経験を繰り返すことになる。また記憶は今生における経験や知識にかぎられるのではなく、数限りない生死を繰り返してきた太古にまで遡ることができるだろう。そして個人的なものから集合的なものまであらゆる記憶を内蔵している心があなたなのだ。一方、肉体もまたそれ自身の中に宇宙創造にまで遡る記憶(情報)をたずさえ、生物的(本能的)、知的な進化のプロセス全体を内蔵している。われわれ人間は心理的にも肉体的にも連綿と続く記憶の影響を強くうけ、制限されているのだ。このように記憶によって条件づけられた心、あるいは肉体をわれわれは自分と見なしているのである。
《引用終わり》

肉体の情報(DNA)に関しては、私も考えたことがあります。

《以下引用(p180)》
肉体的、心理的にプログラムされた人間は、つづまるところ記憶が新しい情報と反応し、シミュレートしたものを、それを思考(願望)というのだが、追体験しているだけということになる。創造性豊かとみられる新奇な事柄も、すべては過去の経験や知識に基づく修正に過ぎないのではということだ。事実われわれの思考の形式は変ってきたけれども、その内容に至ってはいつの時代も同じであり、たとえ新しい肉体をまとおうとも本質的にわれわれは同じことを繰り返している。…繰り返しプログラムされるうちに思考は習性(ヴァーサナ)をおび、知覚を通して入ってくる一定の情報に機械的に反応するようになる。つまり生物的、感情的、知的にプログラムされ、条件づけられた人間は自我の狭苦しい殻の中で同じ思考と行動パターンを繰り返す「籠の鳥」であるということだ。もっとも極めてソフィスティケイトされてはいるが……。
《引用終わり》

DNAについては解析がかなり進んでいます。世代を重ねる中で、個々の情報は個人的なものでもあり集合的なものでもあり、個体に対しては制約を与えるものであり、新しい情報と出会っては反応を繰り返し…上の文章の内容がそのまま当てはまるように思います。

肉体だけでなく心の次元においても同様のことが当てはまると考えてはいけないという理由は無いように思います。

《インデックス》