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「神秘主義の人間学」(法蔵館)「第九章 ロンチェンパ」(p175〜196)を読みました。

《以下引用(p178)》
ゾクチェンは何よりも時空を越えて遍在する生の源泉、あるいは原初(gzhi)を教義の中心にすえている。それは誰もが生まれながらに具えている本性であり、それを悟るとき大いなる完成(ゾクチェン)があるという。が、その始まりを知ることは誰にもできない。というのもそれには始まりがないからだ。…そしてゾクチェンはこの原初へとあなたを連れ戻そうとする。…あなたがもと来たところへ再び立ち帰ることが生の目標といえば言える。というのも普通目標と言われるものはすべてあなたを原初から遠ざける。目標は常に未来にあるからだ。
《引用終わり》

私たちは何かを成し遂げようとすればするほど、根源的な生の目標から遠ざかる…だから、何も達成しなくていいし達成しても空しくなるということでしょう。

《以下引用(p178)》
では原初とその間の違いをどう理解すればよいのか。原初は失われてはいないけれども現在せれは自覚されていない。…今もそれはあなたの根底にあるが、その経験は失われている。…(これを理解するには)目覚めている自分と夢を見ている自分を考えてみるのがいいだろう。
《引用終わり》

これは胡蝶の夢のような話。

《以下引用(p178)》
あなたは眠りにつくとありもしない夢を見始める。するとそこにもうひとりの自分がいる。夢の中に現れた自分が夢に一喜一憂している状況を想像してもらえばよい。夢を見ている最中にはこの自分しかいない。目覚めた状態にある自分のことなどすっかり忘れている。そして目覚めない限りあなたは夢の自分とかかわり、それを自分だと信じて疑わないであろう。これと同じようなことがあなた自身にも起こった。つまり原初とその間に形而上的眠りがあった。不覚にも眠りこけたために原初の経験は失われ、代わって心が造り出す様々な夢(欲望)を追い求める自分がそこにいると考える。この我ありとする迷妄が根本的な無明(ma-rig-pa)と言われるものだ。
《引用終わり》

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