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「神秘主義の人間学」(法蔵館)「第九章 ロンチェンパ」(p175〜196)を読みました。

《以下引用(p176)》
チベット密教ニンマ派(古派)に伝承されてきたゾクチェン(大いなる完成)は、他でもないあるがままのあなたを指す言葉なのだ。その意味をニンマ派を代表する思想家ロンチェンパ(1308-1363)を引合いになぞろうとするのだが、今回もまた言わずもがなの繰り言になるだろう。なぜといってあるがまま(ji bzhin nyid)を言い表す言葉などあろうはずがないではないか……。
《引用終わり》

愚痴ってるようなとこ、いいですね(笑)

さて、以下は「自分」という心の構造…

《以下引用(p176)》
われわれは常に自分を中心に事を計る。まるで自分なくして何事も始まらないかのようだ。しかし行為の中心にある自分がどこから生じて来たかを問う人は少ない。自分とは自ら分かれるという意味だ。では分かれて来たのはどこであろうか。それはあなたの真の本性、あるいは原初(gzhi)から離れたのだ。その結果として主客分裂する心(分別心)などというものを持つようになった。そしてその心を自分だというふうに考える。つまり、自分とは心が造り出すさまざまな観念(蘊)の巣窟に過ぎない。
《引用終わり》

以下は、夢の構造…

《以下引用(p176)》
ここから奇妙な、というよりも、自分の心に浮かんだ欲望や夢の実現に向けて努力する人間という構図ができる。しかし心を離れて自分がないのであれば、あなたは自分の影を捕らえようとして走り始めたのではないか。つまりあなたは自分が投影したものを自分で追いかける独り隠れん坊をしているのだ。このように心は経験するもの(主)と経験されるもの(客)に分れ、堂々巡りをしているのに、あなたはそのまやかしに気づいていない。
《引用終わり》

この文章を読んだら、高崎直道先生の唯識の説明を思い出しました。

夢を持ち、それに向かって邁進し、達成に歓喜する…これこそが生きる意味だ!という捉え方が一般的だと思うし、この捉え方をやめようとしてもなかなかやめられません。そういう捉え方に基づいたプラス思考・ポジティブシンキングを唱えるメッセージが巷に氾濫しています。

《以下引用(p177)》
どんな成功も失敗と同じようにあるがままのあなたの本質に何かを付け加えることもなければ奪うこともない。…どんな夢もひとたびかなえられると空しく思えてくるのも、求めるものと求められるものが同じ心の仮構した観念であり、それらが堂々巡りをしているだけで、あなたをどこへも連れて行きはしないからだ。そういう意味において達成とか成就という観念は極めて疑しい。とはいっても人はあるべき自分の姿を求めて夢を追い続けるであろう。とにかく現在の自分に満足などしておれないからだ。
《引用終わり》

本当は、何を達成する必要もないのに…。

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